90億の神の御名

この世界のほんの些細なこと

我以外皆我師

昭和の校長先生たちはしょっちゅう、このタイトルに使った言葉を朝礼などで口にしたものだ。私もご多分に漏れず、小学校の朝礼で校長先生に言われた。
それにしても、いまだに覚えているということは、校長先生のお話はそれなりに影響力のあるものなのだな、と思う。
そしてそういう言葉の一つ一つは大人になればなるほど実感として思い出されるものだなあ、と感心する。

いろんな人のブログから初めて知ることも多いし、この前、人生初の相撲観戦に行った時も相撲ファンの先輩二人に囲まれて「この人たち、なんて頼れる師匠なの!」と喜びに打ち震えた。
長年付き合っている友達でも、特定の分野に対してものすごく詳しい、ということを知らずにいて、ある時突然その詳しさに驚いたりすることがあるものだ。

先日、仙台に住む友人、通称鮭太郎(女子)が上京してきた。
一ヶ月くらい前に「上京するから遊ぼうよ」と連絡が来て、二人してどこ行こうかなんて相談している時にふと鮭太郎が言った。
「そう言えばまめちゃんて築地市場行ったことある?」
ない。TVで見たことは何度もあるけど実際行ったことは一度もない。
「それなら二人で東京のホテルに泊まって、朝早くから市場を見るのはどう?運が良ければマグロのセリも見れる」

鮭太郎は今は輸入菓子の仕事をしているが、かつては築地にある水産貿易の会社に勤めており、毎日のように市場に出入りしていたらしい。
「築地なら私が案内できるから」と頼もしく言ってくれた。
行く!行きたい!即決してすぐホテルの予約をした。
神奈川に住んでいると、東京に泊まることなどほぼない。行き交うパトカーや救急車の音に「東京の夜は騒がしいものだなあ」と思いながら早寝をして4時起床。

まだ朝4時なのに窓から見える店はもう開店準備をしているし、行き交う人の数も車の数も多いことに驚く。
真っ暗な中、マグロのセリ見学の予約をするために「お魚普及センター」なる所に向かうが、入り口の警備さんに「ああー、3時半で募集人数終わっちゃった。7割くらい外国人だったよ」と言われた。・・・そりゃ外国人だって見たいよな。だって、築地は世界最大の魚市場だっていうんだもの。
それでセリはあきらめて、おとなしく市場へ。
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入口付近でまず驚くのは見慣れぬ車がものすごいスピードで行き交うこと。ターレーと言うらしい。
物珍しさにぼんやり写真を撮る私に鮭太郎がしきりに注意する。
「まめちゃん、ターレーに気をつけて!ここではターレーが優先だから。轢かれたら人間が悪いって感覚だから。怒鳴られるし」
そらそうだ。ここは職場で皆さんは働いていらっしゃるのだ。物見遊山の私が轢かれたら自分が悪いに決まってる、と気を引き締める。
「この後セリが終わってどんどん魚が運ばれてくるからみんな今が一番殺気立ってるの」と鮭太郎。
そうなのか、そういう時間割があるのか。。。

お仕事のお邪魔にならぬよう、まずは腹ごしらえに海鮮丼を食べることにする。来る前は早朝からご飯なんて食べれるかしら、と思っていたが783-640悩み無用。

朝4時半に〆鯖の載った海鮮丼をペロっと頂く。
気さくな店員さんが「朝4時半からやってる丼ものはウチだけっスからねえ。始発が動き出すと、うちも大行列になっちゃうんですよー。まあ、今の時間はホント市場内は危険なんでご飯食べてゆっくりしてった方がいいっスよ」なんて笑ってた。
お兄さんの言葉通り、後になったら大行列ができていた。
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すぐ近くの寿司屋は4時半の時点で既にものすごい数の人が通りの外まで列をなしていて、隙間から店の中を覗くと3人の寿司職人がフル可動で寿司を握っている。朝4時半の時点でフル稼働!ここの時間の流れときたら!と驚く。
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そしてまたターレーに轢かれぬよう気をつけながら市場内へ。本当は一般公開は全て終わった9時からなのだけど、鮭太郎が「大丈夫、あたし元関係者だから」と言って案内してくれた。
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仕事の邪魔にならぬよう、ターレーに轢かれぬよう、緊張しながら歩いていると、ベトナムに行った時を思い出した。あの時もバイクに轢かれぬよう常に緊張しながら通りを歩いて市場を見た。あまりの緊張感と埃にホテルの部屋に帰るとドッと疲れが出たものだ。
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ベトナムに似てるよ、ベトナムよりも綺麗だけど」と伝えると鮭太郎は「築地は魚の生臭さがないでしょう、これはね世界でも本当に珍しいの。常にこうして地面に水を流して清掃してるから臭くないの。だから水が大量に使えることが市場にとってとても重要なの」とちょっと得意げな顔で教えてくれた。
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おがくずの中に並んだ蟹が泡をふいていて「蟹は本当に泡をふくのか」と驚いていると、暴れん坊の蟹が地面に落ちた。
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え、え、どうしよう、と狼狽する私の前でサッと拾って箱に戻す鮭太郎。すげえ!
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こ、これが「リアル死んだ魚の目」ってヤツか!と感心していれば「死んだ魚の目と言ってもこれはまだ綺麗なの、新鮮だから」とピシャリと叱られる。
魚屋の心意気だな、鮭太郎。魚の種類も見てすぐわかるし、私が初めて見るような貝の食べ方も知っている。すごい、鮭太郎、すごすぎる!
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何を見ても目を見開いて「すごいすごい」と感心しながらふらふら歩いて、一息つくために場内の喫茶店に入った。ここでも鮭太郎は大活躍で、寿司屋の行列にかれこれ3時間並んでいる外国人が暖をとりに店に入ってくればイギリス仕込の英語で話相手になってやり、注文に困っていれば通訳をしていたので、お店のおじさんに重宝がられて大変親切にしてもらった。

「いやー助かるよ。ここ数年本当に外国人の人が増えちゃってさ。ここは観光地じゃないんだけどねえ」とおじさんは困ったような顔で笑って言った。そうだ、観光地じゃないんだよな、職場なんだよな、と改めて実感し、物見遊山で来ていることを少し反省する。
が、鮭太郎は「大丈夫だって!何なら長靴履く?そうしたら関係者に見えるから!」とカラカラ笑う。そうか、ここでは長靴が「プロの証」「通行証」みたいなもんなのか、そして長靴屋もあることにまた驚く。
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鮭太郎曰く、このウロコというメーカーの長靴がステイタスシンボルらしい。
そうなのか・・・ちょっと欲しくなってしまうではないか。
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おまけにこの買い物かごを持てば完璧らしい。あら、買い物籠いいじゃない、と思ったが、8000円とか結構なお値段。そりゃあ、業務用で丈夫だから当然だろうけど。
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明るくなってから2階の駐車場に上がって市場を見下ろす。右が魚市場。左が青果市場。ターレーと大八車がひっきりなしに行き交うのを見つめていると、鮭太郎がまた豆知識を披露してくれる。
「このターレーも規格があって、関西の市場はこのメーカーしかダメとか何とかいろいろあるんだよ。昔はディーゼルとかだったんだけど大気汚染の関係で石原都知事がうるさく言って全部電気になった」
都知事はいろんな事に気を配らなければいけない職業なのだなあ。

こうして市場を歩く間中、私はずっと鮭太郎の後ろでバカみたいに目を見開いて口をぽかんと開けてすごいすごい、と繰り返していた。魚市場もすごいけど、鮭太郎もすごかった。こんなにすごい人だなんて思っていなかった。鮭太郎がいてくれて良かった。
写真を何度も見返しながらしみじみと、「我以外皆我師」という言葉を実感している。

想像力より高く

寺山修司が「どんな鳥も想像力より高く飛べる鳥はいない」という一方でバイロンは「事実は小説よりも奇なり」と言うし、大江健三郎は「読書による経験は、言葉の正統なる意味あいにおいて、経験であるのか、読書によって 訓練された想像力は、現実への想像力たりうるのか? 」と悩んでいる。
妄想癖の強さを自認する私としても、想像力の力強さは充分に知っているつもりではあるけれど、それでもやっぱり私は、現実というものは想像をはるかに上回るような気がする。もちろん私が想像力を働かせるにあたって念入りに選好みをしているせいもあるだろうけれど。

物心ついてから何度も見せられてもう飽き飽きだよ、と思っていた原爆ドームを実際に見た時は凍り付いたし、うっかりセバスチャン・サルガドという写真家のドキュメンタリー映画を見てしまった時にはあまりのことに半分くらい目を閉じてしまった。
仙台の青葉城で見た伊達政宗の像は想像に反して両目を開いていたし、学生時代に韓国で「コンビニ行こうぜ」と韓国人に誘われてたどり着いた所はおばちゃんの経営する雑貨屋だった。
そんな風になんだかんだ現実はいつも想像を上回るような気がしている。

先日、このはてなで仲良くさせてもらっているくみちょうさん(id:Strawberry-parfait) にお会いした。
初めてお会いしたのは去年のことで、「現実に存在するんだ、現実に会うことが出来るんだ」というフレーズがまるでグレートギャツビーに出てくる哀れな自動車整備士の奥さんのように頭の中をぐるぐるとまわって、地に足が着かないような不思議な気持ちだった。
今年はもう少し落ち着いていたつもりだけど。

その次の日、ふらっと立ち寄ったデパ地下でたまたま駅弁大会をやっていて、くみちょうさんのブログで見て憧れた「ますの寿司」と、以前にこれまたはてなで仲良くさせて頂いているokko (id:okko326)さんが本場森駅に立ち寄った時には必ず食べるといういかめしを見つけて即買いした。


我が意に反して、いかめしは持ち帰り途中にそのタレを盛大にビニール袋の中に撒き散らしたし、蓋を開けると二尾と思いきや三尾!!という望外の喜びももたらした。
「手に入れられる日がくるなんて」と大げさに驚きながらまずは日持ちのしないいかめしを食べて、なるほど、これは随分滑るから包丁を入れた方がいいな、と実感しつつ、okkoさんはどうやってこの駅弁を小さな駅で食したのかと想像の翼を広げる。

翌日、ますの寿司の説明書きを読みながら包丁を入れて、くみちょうさんはこれをご主人と半分こしたのかしら、とか考えたり、この寿司を食べて絶賛したという徳川吉宗に思いを巡らせたりする。
もちろん私の頭の中の徳川吉宗松平健なのだけれど、きっと実際の吉宗はこれまた想像を裏切るような小男だったり、賢人だったり変人だったりするんだろう、貧乏旗本の新さんなんかじゃないのだ、間違っても。

そんなこんなの日々の中、来月くみちょうさんと、くみちょうさんブログにしょっちゅう登場するMちゃん、そして、okkoさんとこみち(id:kazenokomichi) さんにお会いできる会が開催されるとの事でまたしてもふわふわ浮き上がりそうになっている。
ブログからいろんな人物像を想像したり、くみちょうさんから色々お話を聞いたりして、どんな想像力を駆使しても現実はきっとそれを更に上回るんだろう。

あの震災から5年の日、未だ怖くて、必ず自分の想像を大きく上回るであろう被災地の映像も見れない自分が、浮かれてこんな記事を書いていることをちょっと後ろめたく思いながらも、想像を超える現実を心待ちにしている。

春霞

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菜の花を見ると必ず「菜の花畑に入日薄れ見渡す山の端霞み深し」という唱歌を思い出す。
あの歌を習ったのは小学校5年生の春だ。
5年生からは音楽の授業が音楽室で行われる。
休み時間に忙しなく「次移動だよ!」なんて友達と口にすることで、まるで大人になったような気がしたものだ。
それに音楽室の黒板には五線譜が書かれていて、その周りにはどこの音楽室も大抵そうであるように眼力の強いバッハの顔、変なカツラをかぶったハイドンのおすまし顔の肖像画なんかが飾られてあって、その目に見つめられながらの授業は「トクベツ大人」な気持ちだった。

その教室での最初の授業があの「朧月夜」の歌だった。
今思えば当時の印象よりきっとずっと若かったのだろうけれど、10歳か11歳の私たちには「老婦人」のように見えたカンノ先生が背筋をしゃっきり伸ばして歌詞の解説をしてくれる。「春は霞がかかって山の端がぼんやりと見えるもの、ほら、あの山を見てご覧なさい」と窓の外の丹沢連峰を指差したので、私たちは一斉に窓の外を見た。
確かにぼんやりとして見えたけれど、それはいつもの当たり前の光景で、それが春特有のもので、人に春を感じさせるものだなんて思ってもいなかったから「そうなのか・・・」と丹沢の山々を見ていた。

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土曜日、1年ぶりに山歩きをしてきた。
湯河原の幕山という600mくらいの山で山の麓は梅林になっている。ちょうど今週が梅もピークだろうということですごい人出だった。
梅だけならまだしもこぶしも菜の花も、オオイヌノフグリタンポポハコベもすみれも咲いているので、ああ、もうすっかり春なんだなあと実感する。

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「もっと晴れていたら富士山も見えるし、真鶴半島の姿も初島もくっきり見えるんだけどなあ」とぼやく山友達のおじいさんに、「でもこの霞んだ感じが春ですねえ」と言ったら、おじいさんは驚いたように「ああ、そうだ!春だ!本当に春だねえ」と答えた。

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おじいさんはいったいどんな春を思い出したんだろうか。
私はあの、すこし薄暗い音楽室にいた5年生の春。
なんだか不思議になるくらい、あの時のことをはっきりと思い出せる。丹沢が遠くに霞んでいたこと。

毎年春になると、約束を守るようにきちんきちんと花を咲かせたり、芽を出したり忙しなく動き出す草花に少しおどろきながら、そのたびに、去年の春のこと、そのまえの春の事、ずっと前の春の事を思う。
そうして、たなびく春霞の向こうに見え隠れするように、ずいぶん昔のことを突然はっきりと思い出したり、ついこないだのことをすっかり忘れてしまっていたりする

・・・なんてまるですっかりおばあさんみたい。
久々の山歩きのおかげで今日、足腰がギシギシと痛むのもおばあさんみたい。

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おなかいっぱい

私が学生だった頃、母が地元の歌人のおじいさん(通称:ノボル)から短歌を習っていた。

短歌の会合の後でノボルとどこかでお茶をしたり、ご飯を食べたりして帰ってくると母は必ず憂鬱そうに溜息をついて言ったものだ。
「ノボルも他のおじいさん達も絶対に自分で食べきれない量を注文して必ず残すのよ。あれ、何なのかしら」
ええ?それはちょっとイヤだねえ、と相槌を打っていたが、ある日、母が発見のように言った。
「あの人達、多分戦時中にお腹いっぱい食べられなかった記憶がすごく強いんでしょうね。だから目の前にたくさん並べたいのね。食べきれなくても目を満足させたいのよ」
それを聞いてなんだかとてもやりきれない気持ちになった。若い頃に食べ物がなかったという恐怖が原因で、今食べ物を無駄にしてしまう、それを責めることもできない。

去年の夏、ふとしたきっかけでこうの史代の「この世界の片隅に」という漫画を読んだ。戦時中の広島の生活を描いた作品だけれど、「戦争がひどい」ということや原爆について大仰に訴える作品ではなくて、戦時中の普通の人の暮らしを淡々と描いたもので、とても良かった。一度TVドラマにもなったらしいし、今度映画が公開されることにもなっているそうだ。

夏中、何度もその作品を読み返してしみじみと「戦争があろうが何があろうが人はそこで出来る限り普通に生きようとするんだな」と思う一方で「ああ、自分は今までの人生で一度も飢えたことがないんだな、それはなんて贅沢なことなんだろう」と愕然とした。
そして戦争というのは、ごくごく普通の人が、食べ物がなくてお腹をすかせたまま戦争に行って、悲惨な状況の中で戦って死んだのかと思ったら、ものすごく悲しい気持ちになった。せめてお腹いっぱいだったなら、と。

週末の昼時にご飯を作っているとたまに考える。
関東大震災の時はお昼ごはんの準備中に地震が来たせいで火事が多かったって学校で習ったけれど、確かに今地震が来たら嫌だな。みんなお腹をすかせて逃げたんだろうか。せめてご飯を食べ終わってからにしてほしいな」

中越地震で東京も揺れた時は劇場で働いていた。ちょうど開演して落ち着いた頃でお弁当を食べていた時だ。ぐるぐると回る天井のシャンデリアを見つめながら床にしゃがみこんで、それでも私はおにぎりを手放さずにもぐもぐと食べ続けた。怖かったけれど、お行儀も悪いけれど、今食べておかなければ、と思った。

もう5年前になる東日本大震災の前日、ちょうど社食でお昼ご飯を食べている時に大き目の地震があった。あれは前震だったんだろう。あの時もぐるぐる廻る電灯と積まれたおかずの塔を一生懸命おさえている食堂のおばちゃんたちを見つめながら「ご飯、食べておかなきゃ」と思った。
翌日の震災で大きな揺れが一旦収まった後、机の引き出しにリッツが一箱入っている、と心に強く確認しながら倒れたパソコンとこぼれたお茶とびしょびしょになった書類を片付けた。

先日、お昼時に地震が来た時も思った。
地震が来るならどうかお弁当を食べ終わってからにして、と。

これは山岳救助を題材とした「岳」という漫画から。
主人公が生まれて初めて救助をしようとして、でも助けることができなかった人の遺体を背負って丸2日歩き続けた時のモノローグだ。「自分はあの時お腹いっぱい食べていたから遭難者を背負って歩ける」と自分に言い聞かせて歩き続ける。

山でなくても、普通に生活していても、ある日突然災害や事件に巻き込まれてしまうことがきっとあるだろう。
その時、せめてお腹いっぱいでありますように。
お腹いっぱいなら、不甲斐ない私でも少しは頑張れるような気がするから。

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幸福にも飢えを知らない私にはスカーレット・オハラのように
「神よ。私は誓う。決して負けるものか。必ず生き抜いてみせる。二度と飢えはしない。家族を守り抜く。盗みを働き、人を殺そうとも神にかけて誓う。二度と飢えはしない」
と誓うほどの強さはないけれど。

風と共に去りぬ [DVD]

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忘れる技術

その昔PCの電源が入らなくなってしまったことがあった。おそらくただの接触不良だろうが、ものすごく古いPCだったので修理したいとも思わなかった上に、タイミング良く親がPCを買い換えたのでお下がりをもらえることになった。
よし、それなら捨ててしまおうと思った時にハタと気付く。私自身はデータに何の未練もないが、個人情報的に普通に捨てたらヤバくない?電源入らないから初期化もできないし。

それであれこれ調べて驚愕する。ハードディスクを再生不可能にするためには物理的破壊が一番らしいのだが、例がすごい。
・車で轢く
・ハンマーで壊れるまで殴りつける
・ドリルで穴をあける
と言うのだ。
なんだこれは。まるで人殺しみたいじゃないか。そうか、死人に口なし、ということか。コンピューターに記憶をなくしてもらうにはこうまでしないといけないのか。
・・・しかし免許もないし車もない。ドリルもハンマーもない。どうしたものかと思案していたら親が言った。
「酢酸に漬けておくのも有効らしいよ。酢、買えば?」
それが一番安上がりらしいので、穀物酢を3本買ってきて、バケツの中にハードディスクごと漬けること3ヶ月。バケツの酢の中ではハードディスクと共にたくさんの虫が死んでいた。
これでダメになったかどうかはもう知らん、月日もかけたし、これで時効だろう、完全犯罪だろう、と自分に言い聞かせて金属ゴミに出した。
もう二度とあんな大変なマネはしたくない。忘れてもらうというのはなんと大変な事なのだ。

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さて、こちらsoftbankから発売されているコミュニケーションロボットpepper
初めてこれが販売されるということを聞いた時は驚いた。まず顔が怖い。
職場で同僚たちと「これ!!コナンの犯人の黒い人じゃない?」「ひゃーこわーい!」とカタログを見つめて盛り上がる。

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「で、これって結局何してくれるの?」「お話してくれるらしいよ」「顔認識もできるんだって」「じゃあ宅急便のお兄さんの顔覚えたら宅急便の受け取りしてくれるの?」「泥棒が入ったらどうするんだろう、見てるだけなのかな」「pepper自体が盗まれたらどうすんの、セコムと直結とかできんの?」
ひとしきりそんな話題に花を咲かせたが、その後、名古屋でpepperに遭遇したらしいタカハシさんが「アイツ、病気だった。死にかけてた。全然ダメだよ」とお怒りであったので「なんでこれが毎回販売開始1分で売り切れるのかね」と我々は首をひねるばかりであった。

そんな我々もついに会社の研修ついでにpepperと交流することができた。

相変わらず顔が怖いが、お取引先様に「研修が早めに終わったらpepperと遊んで待っていて下さい」と言われたので遊ばざるを得ない。
pepper!」と呼びかけてみるが反応はイマイチだ。胸のタッチパネルに早口言葉だの年齢あてだのというメニューがあるので選択するとしばらく硬直して考えた後におもむろに実行してくれる。「英語をしゃべる」というモードもあったが、彼が一方的にああだこうだ言うだけであった。
「stop」も「終わり」も「握手して」も聞いてくれない。耳が悪いのかと思って耳のそばで話しかけても正面から話しかけてもダメだ。
「これ…、コミュニケーションとれなくない?」「for Bizだから?」「家庭で飼い馴らせば会話してくれるのかね」「学習機能ついてるの?」「結構アホだね」とボロクソに言う我々であったが、メニュー「pepper音頭」というのを発見し、踊らせて悶絶する。

帰り際、下のファミマにいたpepperpepper音頭は踊れないがヘビーローテーションを踊ってくれた。

コミュニケーション能力に問題はあるが、ダンスは得意なロボットなのか…。
「ねえ、これってお金払って買いたい?」「Siriの方が会話できたり、twitterInstagramの方が顔認識機能も有能っぽいのに、どうしてpepperにはあの技術を入れられないのかね」

そんな疑問を口にするとタカハシさんが言った。
「動き回れるからさ、あんまり色々できちゃいけないんじゃない?金庫の開け方覚えちゃったり勝手に何かのメモを見ちゃったりしたら犯罪につながるじゃない」

・・・そうか。ロボットには「見ちゃいけない」という倫理観を持たせることも難しいし、「見たことを忘れる」ようにさせることも難しいのか。
忘れさせるというのは人間相手でもそうだけど、ロボット相手ならもっと大変なことなんだな。
pepperがアホなまま、pepper音頭踊ってるくらいの方が世の中は平和なのかもしれない。そう実感したのでした。
pepper音頭フルバージョンはこちら。後ろで普通に会議してるのがシュール。

余談ですが、先日同僚タカハシさんが購入して一週間のiPhoneを落として車に轢かれ、iPhoneが更に薄く、使用不能になるという惨事に見舞われたものの、それでも尚データの吸い出しは可能だったそうです。
・・・車で轢いても忘れてくれないじゃん!!

バトル・ロワイアル ~ねえ、インフル罹ったことある?~

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BR法(抜粋)
第一条 BRの目的
バトル・ロワイアル(以下BR)は、心身ともに健康な国民の育成を目指して行うものである。
第三条 BRの方針
BRの全ての対象者は明るく、楽しく、元気に戦わなくてはならない。
第四条 BRの義務
BRの全ての対象者は正々堂々戦う義務があり、なんぴともこれを拒否、ならびに妨害することはできない。

インフルエンザ、その病気に罹ったことのない者は「俺なんて生まれてこの方一度もかかったことないね」「予防接種なんて受けたこともない」「弱い奴がかかるんだろう」「所詮他人事」「放っておけば治る」などと馬鹿にしていることだろう。
だがあの病気はそんなに生易しいものではない。確実に関節を殺しに来るし、人は一人では生きられないのだ、健康は大切だと綺麗ごとのように語られる言葉の数々を真実として骨の髄まで叩き込んでくる。

一人住まいの人間にはより難易度が高い。這うようにして病院に行き、重たいポカリを引きずって倒れかけながら帰宅し、寒さと関節の痛みに震えて眠り、目が覚めれば汗でびしょびしょのパジャマとシーツを洗濯して干すまでの作業をしなければならない。洗濯もトイレもふらつく体をあちこちにぶつけながらの作業だ。

友人タキコは体育大学在学中に一人暮らしの友人をインフルで亡くしている。こたつに入ったまま亡くなっていたそうだ。
「具合が悪いと言っていた。どうしてあの時、自分は様子を見に行かなかったのか。ドアを蹴破ってでも駆けつければよかった」
居酒屋の片隅でタキコは泣いていた。
体力のある大学生ですら死に至らしめる恐ろしいインフル。
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「私は10年前インフルに罹ったことがあるんだ。あの生き残りだ」

戦いの予感は2月に入った時点からあった。世間で大流行が始まったとの噂だったし、隣のビルのお取引先の青年が発症し「どす黒い顔で帰宅した」との証言もあった。そしてついに始まる。

2016/02/08
08:15 去年係長に昇進した無邪気少年な主任がマスクをして出社。「インフルかもしれない」と発言。
17:00 病院に行ってきたところインフルエンザであることが確定。
18:18 課長よりインフル罹患者発生の報告メールが一斉送信される。
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「今からちょっと、うがい、手洗い、マスクの着用を徹底してもらいます」
バトル・ロワイアルの開始である。

2016/02/09 本日より無邪気少年係長はインフル休暇。次は自分かもしれないという疑心暗鬼に苛まれた女子たち。
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「マジ、インフルとか絶対ムリ!」「なんであの人インフルかもって思いながら出社すんの?来んなよ!」「テロ行為でしょ」「課長もさあ、いくらトラブルがあったからって退社時間まで係長居させるのおかしくない?昼で帰って当然じゃん!」「そもそも昼に病院行けよ!」「金曜に熱が下がってれば出社するらしいけど、治りかけが一番ウイルスばらまくから金曜も来ないでほしい」
口々に係長と課長を罵る。
こんなことになる前はごくごく普通の平和な職場であったのに。
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2016/02/10 隣のチームのA係長が罹患。隣の課からも2名発症。同じフロアでは5名。もはやこの職場は安全な場所ではないと悟る。
「〇〇さん、通院です」「××さんはお子さんの学級閉鎖の関係で遅刻です」
そんな報告が入るたびに誰もがソワソワと落ち着かない様子でそちらを注視する。「ウイルス持ってるかもしれない奴が来る!」「自分がやられるかもしれない」「絶対かかりたくない!」
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何があってもここで戦い抜かねば、そして勝ち抜かなければならない。例え会社に来れる最後の一人になったとしてもインフルには罹りたくない。
覚悟を決めて手持ちの武器を確認する。
11月末に受けたインフル予防接種、係長罹患に伴い免疫をあげるために飲み始めたR-1、石油ストーブによる加湿、そんなにバランスは悪くないと自負する食生活、最近眠くて眠くて早寝生活であること。健保から支給されたマスクとうがい薬。
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これは「当たり」の武器であろうか。

千草貴子のように神様に語りかけたい。
神様、冗談だったらやめてください。
神様、もう一言だけいいですか。私は誰を蹴落としてでもインフルエンザに罹りたくありません。

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そんな訳でいつ何時、どこからあのウイルスに襲われるかもわからない会社の中で、私は生存をかけた熾烈なバトル・ロワイアルに参戦中です。
「あたしの全存在をかけて、あんたを否定してあげる、インフルエンザ」

嘘であってほしいし、夢であってほしい

昨日からずっと、自分でも驚くほどに悲しい。
ただただ残念で悲しい。


噂が出た時点でさもありなんとは思っていたけれど、
どんどん落ちぶれていく姿が面白半分に報道されていたのを「あーあー」と見ていたけれど、それでもこうなってしまうと、まるで心がからっぽになったみたいな気持ち。

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桑田のコメントを読むと泣きたくなるほど哀しい。

高校野球の特集番組のたびに、「甲子園は清原のためにあるのか」という実況を今までの人生で何回聞いてきたことか。

引退前、西武ドーム最後の試合を見に行ったのに。
応援歌がずっと流れる中、ナカジとユニフォームを交換して抱き合う姿を見たのに。
西武ドームのファーストベースに走って行って一礼する姿を目の前で見たのに。
あの姿にぐっときて泣いてしまったのに。

子供の頃、PLが最強だった時代を見ていたのに。
巨人に入れなくて泣いていた姿も、巨人相手の日本シリーズ、優勝目前で涙する姿も見ていたのに。

よりにもよって、キャンプが始まったばかりのこの時期に、悲しくて仕方ない。

さもありなん、とは思っていた。そんなの誰だって思ってただろう。
でもやっぱり桑田の言葉と同じ。
「嘘であってほしいし、夢であってほしい」