90億の神の御名

この世界のほんの些細なこと

秘密

KAKUTAの「秘を以って成立とす」というお芝居を見てきた。
数年前に、人に誘われて初めてここの公演を見て、脚本の旨さに感心した。
脚本を書いている桑原裕子さんは私とほぼ同い年くらいなのだろうと思う。
だからこそ、「ああ、この人とは見てきた時代が同じだな」と心を鷲掴みにもされるし、それでいて「同い年くらいなのにこの人はこんなにきちんとした作品を世に送り出しているのか」と小さなコンプレックスを抱いたりもする。

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難しそうな題名だしサスペンスか何かかしらと思いながら劇場に来て、終演後、ようやく題名の意味を理解した。
どこにでも誰にでも秘密はあるけれど、それをわかちあったり、知らんふりをしてあげながら一緒に守り合うコミュニティの事を家族と呼ぶのか。
それは「パーマネント野ばら」で架空の恋人とデートする直子をそっと見守る港町の女達のよう。
こぼれた部分を受け止めてくれる「秘密の友達」の存在は、パーマネント野ばらで言えば、同じ小さな町の中でそれぞれの秘密を抱えているみっちゃんとともちゃん。
と、最近折にふれて思い出す「パーマネント野ばら」と色んな事がつながっていった。

いつからでしょう、誰かと向き合うときに、その人のすべてを知りたいと思ったり、知らなければ不安、などと思うようになったのは。
いや、今だってきっと、賢い人はそんな愚かな不安を抱かないでしょう。
でもいつの間にか私は昔よりもしらんふりが下手になりました。


帰り道、劇場内で配られたチラシに書かれた桑原さんの「ごあいさつ」の文章を読んで、ああ、と、溜息をついた。
冷凍庫でカチカチに凍りついたアイスをこそげとるみたいに、自分の心をこそげとられたような気がして。
この人は特別に優しいのだろうか。それともそれが普通のことなんだろうか。
どうしようもない事情や秘密がある人がいて、そのどうしようもない秘密を一緒に抱いてくれたり、優しい知らんふりをしてくれる人達が存在する、っていうのはお芝居や漫画やドラマだからなんだろうか。
それとも本当に、現実でもみんなそうやって生きているんだろうか。
それが当たり前のことなんだろうか。
不安になるのがいやで、上手に知らんふりができないことがいやで、最初から薄情な知らんふりをきめこんで投げ出してしまう私は。
それが私の「秘密」で「事情」だろうか。

そんなことをずっと考えている。
考えないようにもしている。