90億の神の御名

この世界のほんの些細なこと

人を愛することの出来ぬ者も

これが一番いいもの
この短い単純きわまりない旋律が
ぼくは息をこらす ぼくはそっと息をはく
人を愛することの出来ぬ者もモーツアルトに涙する
もしもそれが幻ならこの世のすべては夢にすぎない

          
谷川俊太郎詩集「モーツアルトを聴く人」より「人を愛することの出来ぬ者も」


大昔、付き合っていた人に「一緒に住もう」と言われて絶句した。
当時、お互い一人暮らしだった。
もしも一緒に住むとして私が冷蔵庫や洗濯機を処分したら、別れた後はどうなるのか。冷蔵庫はまた買い直すのか。
頭の中はそんな考えでいっぱいで、それを告げた所、今度は向こうが絶句した。
私の彼に対する愛情は、冷蔵庫と洗濯機に対する執着を上回るものではなかったようだ。


そんな話を友人にした所、友人も言った。
職場の子がね、付き合っている人には必ずアクセサリーを買ってもらいたいんだって。
でもさ、そういうのって別れた時、困るじゃない?なんとなくつけづらくなるし、でも捨てづらいし、持っているのもちょっとイヤじゃない?
けど、私がそれを言ったらね「別れる事なんて考えませんよー」って言うの。
それで、ああ、これが私のダメな所だなって思ったの。
絶対考えちゃうんだよね。別れることを。

わかる!もう本当に超わかるわ、それ!
と、友情を深め合った私たちはもちろんいまだにふらふらと独身だ。


必ず別れを考えてしまう、というのは、自分に続けていく努力ができないからなんだろうな、と、いつも「アンタいい人いないの?」と心配してくれる職場の警備のおじさんに言ったら「いやいや、本当に好きな人ができたら変わるって!絶対そういう人が現れるから!」と励まされたのは、20代の頃。
そうかー、本当に好きな人、ねー。確かに今まで「なんとなく」で付き合ってたしね。
と、「本当に好きな人」の登場を心待ちにしていたが、ついぞ現れぬまま今日まで来た。

一時は「私は誰のことも愛せない欠陥人間なのでは」とドラマチックにヘコんでみたりもしたが、今となれば、確かに私は誰のことも深く愛したりはできないだろうが、まあそれはそれで仕方ないではないか、と開き直ってもぐもぐとクリームパンなど食べている日々だ。


人を愛することの出来ぬ者もモーツアルトの旋律に涙し、
夕暮れ空の美しさに胸を打たれ、他所のご家庭から漏れ出る魚の煮付けの匂いに郷愁を誘われたりする。
それはそれで、もういいんじゃないか。そうやって生きていってもいいんじゃないか。


尚、数年前、弟が同棲を始めた時にも、私は「あの子、別れたら洗濯機どうするのかしら」と性懲りもなく心配してしまったのであります。
弟は無事に結婚したけれど、それにしても私の冷蔵庫や洗濯機への執着ときたら、我ながら恐ろしいわ・・・。

モーツァルトを聴く人―谷川俊太郎詩集

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