運命
この前お花見バスツアーに行って、初めて新東名を通った際に、海岸線の平野部を眺めながら前の席のおじさんが言った。
「津波が来たら逃げようがないよなあ」
心の中で同じ事を思っていた。
あの大きな地震の後では、誰でも皆、海岸線を見る度に、そしてあちこちに貼られた「海抜○メートル」の標識を見る度に、津波の事を考えてしまうようになったのではないか。
これはブリヂストン美術館に展示されていたザオ・ウーキーという画家の絵。
絵葉書を写真に撮ったので色が良くないけれど本当はもっと青が濃い。
畳一畳くらいの大きさの、この絵の前にぼんやりと座って、津波の事を思っていた。それから、抗いようのない、大きな運命に呑み込まれることについて。
先日、第81回日本音楽コンクール受賞者発表演奏会のご招待券を頂いてオペラシティに行ってきた。
ヴァイオリン部門で受賞された会田莉凡(あいだりぼん)さんがシベリウスのヴァイオリン協奏曲 ニ短調 作品47を演奏されたのだが、その演奏を聴いて、またしても人を呑み込んでいく大きな運命のことを思った。
まるで東欧の革命の炎が見えるような演奏だった。力強くヴァイオリンを弾く彼女の姿は、時代や運命の強風に立ち向かおうとする母親のようだった。
そして坂口安吾の堕落論の一節を思い出した。
けれども私は偉大な破壊を愛していた。運命に従順な人間の姿は奇妙に美しいものである 坂口安吾「堕落論」
不謹慎だと言われるかもしれない。
生き残った者の感傷だと、傲慢であると、人は言うかもしれない。
けれどいつの時代でも、誰でも、多かれ少なかれ、その時代の中で運命に巻き込まれ、慟哭しようが憤慨しようが血を流すことになろうが、命を落とすことになろうが、その運命を受け入れざるを得ない。
生きて、そして死んでいく中で、人は何度か諦めたような表情で微笑むのだろう。まるで彫刻のように。
その姿はやはり、夕焼け空のように哀しいほど美しいものだろう。
運命が残酷なものであればあるほどに。
- 作者: 坂口安吾
- 出版社/メーカー: 新潮社
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