90億の神の御名

この世界のほんの些細なこと

思い出の中のごはん

毎日モノスヤさんのブログを楽しみにしているのだけれど、不思議なことにあのブログにはいつも、自分がここ数日食べたい、食べたいと思っていたものがタイムリーに登場する。
それから、無意識に食べたいと思っていたものも。
この前は春菊のスープが登場して、一日中、頭から春菊が離れず、結局買ってきて私も春菊のスープを作った。
今朝はのり弁だった。
それで、お昼ごはんに何を食べるかも決めていないのに、夕ごはんは絶対にのり弁だと決めていた。
作らずに買うことにしたのだけれど。

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向田邦子の「食らわんか」というエッセイの中にのり弁が出てくる。海外旅行から帰ってきて、まず最初に作ったものがのり弁だと。

まずおいしいご飯を炊く。
十分に蒸らしてから、塗りのお弁当箱にふわりと三分の一ほど平らにつめる。かつお節を醤油でしめらせたものを、うすく敷き、その上に火取って八枚切りにした海苔をのせる。これを三回くりかえし、いちばん上に、蓋にくっつかないよう、ごはん粒をひとならべするようにほんの少し、ごはんをのせてから、蓋をして、五分ほど蒸らしていただく

これに肉のしょうが煮と塩焼き卵をつけるのが好きだ、と続く文章は、その後で子供の頃にお母さんが作ってくれたお弁当の話につながっていく。

私が食べたくなったのり弁は、そんな上等なものではなくて、お弁当屋さん、HottoMottoののり弁だ。
勤め始めてから、会社の近くのHottoMottoののり弁をよく食べた。それも普通ののり弁ではなくて、メンチカツ、白身魚フライ、唐揚げ、きんぴらにタルタルソースのついている特のりタル弁当。
正直言ってトキめくような見た目ではなくて、お値段なりのお弁当。仕事も忙しくていつもカリカリしていた頃だったから、食べている時の気分もあまりパっとしたもんじゃなかった。
何を頼むか考えるのも面倒で選んでいたような節もある。
なのに、今になって「のり弁を食べたい」と思うとあのパッとしない特のりタル弁当を思い出すのだ。

今日、モノスヤさんのブログを読んで、のり弁を食べようと決めた時も、あの特のりタル弁当が浮かんだ。
近所にはHottoMottoがないので、帰り道オリジン弁当を覗いてみたけど、オリジンののり弁は海苔が小さくて、白い部分が大きく見えていた。
ああ、ダメダメ、こんなんじゃダメ。
海原雄山のような険しい顔でオリジンを出て、近くの若草弁当で鮭のり弁を買って帰った。

プラスチックのお弁当箱にきっちり詰められた手作り感と、真っ黒に敷き詰められた海苔。
そうそう、こうじゃなきゃ、と食べてみると、海苔の下は昆布の佃煮だった。
ああ、これじゃなくて、甘じょっぱい鰹節の佃煮なんだよな、HottoMottoもうちの母のも。

なんとなく物足りないような気持ちでのり弁を食べながらしみじみ考えた。
手に入りづらくなった今になって、あの特のりタル弁当をこんなに恋しく思うだなんて、あれがものすごく美味しかったような気になるなんて。
お弁当を買いにいく道々がいつも曇り空だったように思えるほど、パッとしない日々に食べたパっとしない400円くらいのお弁当なのに。

でも考えてみれば、ご飯っていつもそうだ。
思い出の中のご飯は、手がとどかない今になって、何よりも美味しかったように思える。
それも、気合を入れて食べにいったご馳走なんかよりも、しょぼいご飯の方をずっと強く。
冷蔵庫の中身を全部揚げる勢いで母がかき揚げを揚げた翌日に、「見た目は悪いんだけどさ」って恥ずかしそうに言いながら出す、煮含めたかき揚げ丼。
遊びに行く度におじいちゃんが頼んだ宅配ピザ。近所のおばあさんが火鉢で焼いてくれた銀杏。
相席のおばちゃんの話が面白くて、友達とげらげら笑いながら食べたとんかつ。
そして冴えない日々を一緒にすごしたあののり弁も。

深夜食堂」なんかのドラマにありがちな、懐かしさに泣きながら食べる「思い出の味」がいつの間にか自分の中にもたくさんできていたんだなあ。


夜中の薔薇 (講談社文庫)

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