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90億の神の御名

この世界のほんの些細なこと

包丁一本

泡沫

だってピアスとか、指輪とか、金属じゃない?
普段もなにかしら肌身離さずつけてるし(中略)皮膚と続いているような感じ?を抱いていたの。でもね、自分のバスローブのおなかに包丁がめりこんできたとき、心から、本当にはじめて感じたの。自分と金属がちがう素材だということ。何よりもそのことしか感じられなかった。すごい異物感だった。

これは吉本ばななの小説「アムリタ」の中で不倫をしていた女友達が奥さんに包丁で刺された後で主人公に言う台詞。
ああ、本当にそうだよな、と目からウロコが落ちるような気持ちになった。
同じように異物感というか、違和感にびっくりするのは、包丁を居間なんかに持って行く時だ。台所にある分にはまったく当たり前で、普通に置きっぱなしにしたりもするのに、台所以外の場所に持って行こうとした瞬間に、刃物であるという事を強く意識して恐くなる。
友人などは子供もいるので、包丁を持って歩く時には「近寄らないで!!!」と立てこもり犯のような大声をあげて歩くと言う。
台所と居間、という同じ家の中でさえ、包丁を持つという行為の日常性と非日常性がはっきりと別れるのだ。


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ごくたまに、切り身じゃない魚を買う時はものすごい勇気と計算が必要だ。例えば明日が生ゴミの日じゃないととても捌けやしないし、何より帰宅後に魚を捌く元気が残っている日じゃないとダメだ。
それで「よし、やるぞ!」と気合を入れて魚と向き合う訳ですが、私のような素人はもう、途中で何度も目を瞑りたくなってしまう。
頭を落とす時に苦しげに開く口、手は血にまみれ、台所全体に血生臭い匂いが漂う。内蔵を取り出す時に感じる己の残忍さ、骨を断つ時のゴリゴリとした音。
そうやって、うわー、うわー、と半泣きで魚を捌く時、いつも思う。
通り魔の人やバラバラ殺人の犯人の人は、魚を捌いたことがあるんだろうか。
あの人たちにとって包丁とは「手軽に手に入る武器」という非日常的な物だったんじゃないだろうか。

だから、むしゃくしゃしている人たちよ。どうぞ思う存分魚をお捌きなさい。無慈悲なぶつ切りにでもすればよいのです。横でお母さんが片っ端から煮てくれる。
鰯じゃ生ぬるいと言うならば、鯖や鰹に挑戦なさい。あれは相当大きくて相当恐ろしいものです。それでもお母さんが大忙しで〆鯖やタタキにしてくれるでしょう。
尚も気持ちが収まらないなら鶏はいかがですか。ラーメン屋が開けるほどいいダシが取れると思いますよ。
日常の調理道具として包丁を使う限りにおいては、血生臭い台所で、血まみれの手でひひひと薄気味悪く笑っても警察は来ないのよ。

そろそろ鰹の季節ですね。

アムリタ〈上〉 (新潮文庫)

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