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90億の神の御名

この世界のほんの些細なこと

どうにもならない

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山歩きをしたい、と思ったのは去年の5月に戸隠神社に行って、奥社までの自然道の気持ちよさに感動したせいだ。鳥の鳴き声に耳をすませながら、木漏れ日の下を歩くなんて、なんて贅沢なんだろうと思った。
それで、値段に目眩を覚えながらも山道具をあれこれ買い揃え、山歩きを始めた。一緒に戸隠に行った友人は「本当に始めたんだね」と驚いていたけど、やる時はやるのよ、やりたいことはやるのよ、私。

あれから丁度1年。高かった道具代を無駄にする訳にはいかない!という意地もあって、比較的コンスタントに山歩きを続けている。去年の今頃は「山登りってどうすればいいのか」というノウハウ収集に躍起になっていたが、今や日帰りの山だったら、割と気軽に出かけられるようになった。
昨日も飲み会&大縄跳び明けなので、どうしようか迷ったが、空梅雨とは言え、梅雨の晴れ間を無駄にする訳にはいくまい、と中央線に乗って生藤山~陣馬山へ行ってきた。

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上野原駅バス停前にそびえ立つ旅館。なんとなく「カントリーロード」を歌いたくなる風景。

最初の登りがキツくてキツくて、やっと出た尾根道の木漏れ日の中を歩きながら「そうだよ、これがしたくてきたんだよ」と浮かれて、陽に透けてキラキラ光る緑の写真を何枚も何枚も撮った。

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霞んでいたから富士山は見えなかった。そして特に面白いコースだったわけでもない。キツい登り坂では、何をやっているのか、何をしにきたのか、バカじゃないかと考える。何も考えずに歩きたいなんて思っていたのに、実際には普段よりも、もっとずっと余計なことを考えたりする。もしもケガをしたら、もしも死んだら、ここは落ちたら死ぬか、死なないか・・・。

それでもまた山に行こうと思ってしまうのは、達成感でもなんでもなくて、やっぱり「鳥の声と風の音しかしない中を歩きたい」という理由と、それから山というのが「どうにもならない場所」であるせいなんだと思う。
携帯の電波も入らない、タクシーが通りかかるわけでもない、自販機もお店もトイレもない。全部自分で選んで準備をして、自分で行って、自分で安全に下りて来なければならない。

日々の暮しもそんな風に、どうにもならないものだと言われれば、まあ、それもそうかもしれないけど。