普通のお客様

今夜あなたに接吻する
後になったら思い出すわ
まだそうしない、今のことを
愛してる。まだそう言わない今のことを
　　　　　　　　　ジャン・ジロドゥ「オンディーヌ」

前に勤めていた会社は劇団で、10年勤めた。辞めて4年になる。
先日、劇団時代の友達とご飯を食べた時、友達が言った。
「ねえ、辞めて何年になる？もう普通のお客さんとして舞台を見ることができる？」

いいえ、それは無理。他所の舞台ならまだ普通に見れる。それでも色々な事が気にかかる。ふーん、こういう席の埋め方するのね、ふーん、こういう対応するのね、ふーん、例え雨でも開場しないのね。
それが勤めていた劇団の芝居だったら、お客様対応も、キャスティングも舞台裏の事情も、台本からカットされた部分も、演出が変わったことも、「あの人、まだいるんだ」って事も、全てが過ぎ去った恋のように生々しく思い出されて、とても普通のお客様として無邪気に舞台を楽しむことができない。
劇団にいた頃、アルバイト採用面接で「この劇団が大好きです」と言う女の子に言った事がある。「ありがとうございます。でも、ここで働くことになれば、二度と普通のお客様として、舞台を楽しむことはできなくなりますよ？」
彼女はクールに「私は元々オリエンタルランドが大好きでそこに長く勤めていましたから、お客様として楽しめなくなるという点についてはよく知っています」と答えた。
あの頃彼女に言った台詞が今になって自分にブーメランのように突き刺さる。

そんな風に、好きだけれど、素直に楽しめなくなってしまった娯楽もある。
ここに散々書いてきたクリームパンだって、深入りしすぎて、素直に好きと言えない所まで行ってしまった。娯楽なんて、本来、何も考えずに楽しめるものであるはずなのに。

ねえ、だからお願いです。
野球くらい、素直に無邪気に楽しませてほしい。
まるで政治の問題を見ているかのような、いい年した大人の情けなくてみっともない言い訳や体面や嘘や利権や帳尻合わせ。
そんなものを見たい訳じゃない。そんなことを知りたい訳じゃない。ただの普通のお客様として、ただただ無邪気に楽しく見ていたいの。
毎回毎回、球界再編だの、震災による開幕延期をするかしないかだの、統一球だの、利権の問題だのを知りたくて野球見ているわけじゃないのよ。

【悲報】統一球、11年からの全ての検査で下限の0.4134を下回っていた！この2年間はなんだったんだ･･･ ：日刊やきう速報＠なんJ

そんな怒りを胸に秘めつつ、今日は全日本大学野球選手権を見に、神宮に行ってきます。
アマチュア野球だっていろんな思惑や利権があったり、爽やかな高校球児なんて嘘っぱちだって言われていることも知っている。
ねえ、でも、知らないフリをしてもいいはずでしょう？
だって野球に関して、私はただの普通のお客様なんだもの。

オンディーヌ (光文社古典新訳文庫)