一年で一番日の長い日
あんたたち、一年中で一番日の長い日をいつも待ち受けていながら、いよいよというときにうっかり過ごしてしまうことあって?あたしはね、一年中で一番日が長い日を待ち受けていながら、いつもうっかり過ごしてしまうんだ
フィッツジェラルド「グレート・ギャツビー」
一年中で一番日の長い日は特に待ち受けていなかったが、春一番は毎年密かに心待ちにしていた。それでいながら、いつもうっかり過ごしてしまい、風の強い日に「これ、春一番じゃない?」と浮かれては、周りの友人達に「一番はもう吹いた。これは二番」と厳しく諭されてきた。
だからグレート・ギャツビーを読んで、デイズィの台詞に深く共感し、それ以来夏至のことも気にかけるようになった。そして毎年、夏至のたびにデイズィの台詞を思い出していた。
今年の一年で一番日の長い日、高校時代の友達と西武ドームに野球を見に行った。
球場へ向かう道すがら、電車の窓から母校を眺めながら高校時代の思い出話。友人は言った。
「西武球場がドームになったのなんて、つい最近だろ?俺らが高校の頃はまだドームじゃなかったじゃん」
バカだね、あんた。我々の高校時代はもう20年ほど前だよ、相当大昔のことよ?
そう笑いながらも、いつまでも学生気分で「古典の先生があの時、授業放ったらかしで日本シリーズ見に球場に行っちゃったよね」「日本史の先生も日本シリーズの間は授業やらなかったろ」なんて笑いあった。
試合はいいところなしで、オリックスに完封負けしたけれど、帰りの電車からは虹が見えた。
久しぶりに降りた所沢駅のホームはすっかり新しくなって、青春の面影をなくしていたけれど、駅前の風景は昔のままで、やっぱり「あの時はここでご飯食べた」「ここで誰々とお茶した」とかつての面影ばかりを追い求める。
途中まで車で送ってくれると言うので、多摩湖なんかドライブする19時。空はまだ明るくて「そうだ、夏至だったね、一年で一番日の長い日なんだね」と話しながら、デイズィの事を思い出した。
多摩川を渡りながら、空に浮かんだ大きな月を見て、そろそろスーパームーンだった事も思い出した。
それから立川でゴージャスなカレーを食べて別れた。
高校生の時だったら駅前で「じゃあね」と別れて終わりだったのに、わざわざ改札口まで見送ってくれるので「ああ、お互いにこういう役割をこなそうとする大人になっちゃったな」と思った。
散々高校生気分で話をしておいて、今更そんなことで。
それが今年の、一年で一番日の長い日のこと。
こうしてぼくたちは、絶えず過去へ過去へと運び去られながらも、流れにさからう舟のように、力のかぎり漕ぎ進んでゆく
フィッツジェラルド「グレート・ギャツビー」
- 作者: フィツジェラルド,野崎孝
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1989/05/20
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