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90億の神の御名

この世界のほんの些細なこと

旅・散歩

横川にあるおぎのやの釜めし。あれに思い入れのある人は相当数いるだろう。
私とて、若かりし日、あの釜めしを横目に横川から軽井沢までバスに乗ったな、とか、そう言えば横川のSAで夕飯を釜めしにするか否か友人と議論したな、とか、マンガ「頭文字D」で池谷くんが真子ちゃんに振られたのは釜めし前だったな、とか様々思い出はある。
しかし。しかしですよ。

あれは1年ほど前のことであっただろうか。よくポータルサイトにOZやPeachyなどの女性向け記事が掲載されているが、ある日一人暮らしの女性向け断捨離特集だかお片づけ特集だかが組まれ、そこにはこう書いてあった。
「どこの家にも必ず一つはある、釜めしの釜」
いやいやいや、ありませんよ。ないでしょう。今時、釜めし食べたからって釜めしの釜をそんなに後生大事に取っておいたりしないでしょう。ましてや一人暮らしで。
しかし、その記事(確か女性が書いたものだった)には自信満々に「家でもう一度釜めしを作ろうと、誰もが考えて取ってはおくものの、一向に使いませんよね」と書いてある。そして、思い切って捨てる、もしくは植木鉢にしましょうと。
ええええ?こんなに当たり前に書かれるほど、みんな釜を所持しておるのですか?嘘でしょう?

昨年、友人と戸隠神社に行った際、黒姫高原の近くにある「らんぷ屋カフェ」というお洒落カフェでコーヒーを飲んだ。雰囲気が良くてお店の人も親切でシフォンケーキも美味しかったし、もう一度行きたいなと思わせるお店だったが、そのお洒落カフェのテラス席に置かれた灰皿は釜めしの釜だった。蓋も付いているので臭いも漏れず、確かに便利と言えば便利だ。テラスの各テーブルに置かれていたから4,5個はあっただろうか。ご家族全員で食べたなら一度のメモリーだが、そうでないなら、数回に渡り頻繁に釜めしを食し、そしてその度に釜を保存しておいたということになる。長野や群馬の人にとって釜めしはそんなにも身近な食べ物か。横浜市民におけるシウマイ弁当みたいなものなのか。
宿泊したホテルの駐車場付近の庭にも釜めしの釜が規則正しく並んでいた。

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昨日は八千穂高原にある白駒池を散策してきた。まるでもののけ姫に出てきそうな、鬱蒼とした苔むす森で、マイナスイオンに癒されながら池の周りを周遊したが、池のほとりの石碑を見てハっとした。
そうか、お供えも釜めしの釜なのか。
この辺の人にとって、釜めしの釜は、そんなにも日常生活に溶け込んでいるものか。あの、断捨離の記事を書いた人はもしかしたら長野か群馬県民なのではないか、だからあんなにも自信満々に「どこのご家庭にも必ずある釜めしの釜」なんて書いたんじゃないか。

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そんな事を考えながら、おぎのやのホームページを見たら、久々に釜めしが食べたくなった。いや、食べても釜はとっておきませんけどね。