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90億の神の御名

この世界のほんの些細なこと

満面の笑み

不景気な昨今、世の中には「これであなたもお金持ち」みたいな本やジンクスが溢れかえっている。その中の一つに「満月の夜に月に向かって財布を振る」というのがある。
全く知らなかったのだが、ある満月の日、友人が教えてくれた。元々ばあちゃん子だった友人はそういうことにとても詳しく、暦の六曜も気にかけているし、お財布を買う時期についても注意を払っているようだ。そして、ばあちゃんが乗り移ったみたいな口調で言う。
「まあね、こういうのはほら、気持ちの持ちようだから。お金が入ってくるよって言われれば、なんとなくやってみようかなって思うじゃない?」
そうね。うん。お金はあって困るものじゃないからね。で、どうするの?お財布振ったらいいの?
気軽に尋ねた私に、彼女は居住まいを正し、厳かに言った。

「あのね、ただ振るだけじゃダメ。いい?ここが肝心なんだけど、月に向かって満面の笑みで「大金持ち、大金持ち、大金持ち」って言いながら振るの。いい?満面の笑みだからね、満面の。

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ま!満面の笑みですか・・・。そんなにも繰り返すほど満面の!
「当たり前じゃない、バカね!ここがキモなの!満面の笑みが!ほら、笑って!」
そんな彼女の勢いに押されてゲラゲラ笑っていると、また叱責される。「あたしに笑うんじゃないわよ、月に向かって笑うの!」
満月の夜、道端で財布と腹を抱えて笑い転げる女たちを見て、すれ違う人々はどれ程気味が悪かったであろうか。けれどものすごく楽しい満月だった。

それで次の満月、今度は母親にその話を教えてやって、二人して団地の階段の踊場から月に向かって財布を振った。
「お母さん、満面の笑みだからね?ここが重要なんだからね!」友人の受け売りで偉そうに言う私に「あんたこそ、そんな笑顔じゃダメよ、気持ちがこもってない。アンタの笑顔は薄っぺらい」とガラスの仮面月影先生のようなダメ出しをしてくる母。それでまた笑い転げた満月だった。「満面の笑みってところがいいよねえ」と。

一昨日、東京ドームの帰り道、雨上がりの晴れ間から満月が見えて、「ああ、満月だ」と、そっとお財布を出して振ってみた。一人の夜道だからちょっと満面の笑みまではできないな。でも、きっと今頃あちこちのベランダで満面の笑みでお財布を振ってる人たちがいるんだろうな、と思ったら、にやにやしてしまった。

「満面の笑み」っていう、このジンクスのキモは、なんて馬鹿馬鹿しくおかしくて、そして人の生活のささやかな幸福を感じさせるものなんだろう。
それは少し胸が詰まるくらい。