90億の神の御名

この世界のほんの些細なこと

きのこにまつわるエトセトラ

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専門的な物事について書かれた文章というのは往々にして、専門外の者にとって非常にシュールに感じられるものだが、なかでもきのこに関する文章のシュールさは群を抜いているのではないかと思う。
そしてそう思ってしまった時点で、きのこは既に私の脳内で繁殖し始めてしまい、事あるごとにきのこの事が気にかかり始める。図書館でも、きのこに関する本ばかりがやたらと目につく。ある日図書館の書架に並んだ「きのこ文学大全」というこの本の背表紙が、まるで竹取の翁が見つけたかぐや姫入りの竹の子のように輝いて見えた。

きのこ文学大全 (平凡社新書)

きのこ文学大全 (平凡社新書)

マンガや本の中に登場するきのこに関する文章を集めたこの本を読んで、フロイトやレーニンやチャイコフスキーのきのこ好きエピソードに呆気にとられた時、私は心に決めた。如何なる苦難が待ち受けようとも、きのこに関するシュールな文章をランダムにツイートする「きのこbot」を作ってやろうと。それで1年程前にbotアカウントを取得し、こんな感じのシュールな文章を集めては呟かせている。どうだ、この何かのまじないのような文句ときたら。

まあ、気負いの割には、twittbotという、簡単にbotを作れるサイトがあったので、きのこの本を片っ端から読んでは文章を入力するだけの簡単なお仕事であったが。おまけにきのこと同じで一旦入力してしまえば後は放ったらかしておいてもどんどん繁殖していくようなので、ここ最近はすっかり放置していたのだけれど。

これは「きのこ文学大全」の中に書いてあった、レーニンのきのこにまつわるエピソード。ツィンメルワルド左派!

昨日はKindleの無料本で夢野久作の「きのこ会議」をダウンロードした。夢野久作という事で、ドグラでマグラで気持ち悪かったらどうしようかと及び腰で読んだが、宮沢賢治のようなイメージの、非常に短い物語であった。
物語は「初茸、松茸、椎茸、木くらげ、白茸、鴈茸、ぬめり茸、霜降り茸、獅子茸、鼠茸、皮剥ぎ茸、米松露、麦松露なぞいうきのこ連中がある夜集まって、談話会を始めました」という有無を言わせぬ一文から始まる。

ほらきた。やっぱりね!いきなり「きのこ連中が集まって談話会」、これだもの。一瞬「え!!なんで!!」って言いたくなるのに、言わせてもらえないんだもの。やっぱり、きのこに関する文章ときたら論文にしろ文学にしろ、相当おかしいわ。早速これもbotに追加しておかなければ。

また、最近のきのこニュースではこんなものもあった。きのこの国!これもすぐさまbotに登録した。
北朝鮮を「キノコの国に」金正恩第一書記が改めて指示、栽培工場視察で(毎日中国経済) - 海外 - livedoor ニュース

考えてみるに、きのこというのはどうしても何かしら得体の知れない部分があるから、真面目な顔で語り合うことがシュールに見えるのだろうか。
それともそれは、わたしの頭の中が既に菌に侵されているからであって、他の人から見れば、きのこよりもIT技術や経済の話の方がよっぽどシュールさに満ちているのであろうか。

そんなことを考えていた昨夜、友達とご飯を食べに行ったカレー屋で、ついついきのこカレーを頼んでしまった。結構な辛さのカレーの中に浮かぶ救いの女神ゆで卵!・・・と思われたものはエリンギであった。
きのこ、どこまでも侮りがたし。