90億の神の御名

この世界のほんの些細なこと

ハレの日

仮設の櫓の中で器楽奏者が奏でる異教的な音楽に合わせて、二つの輪が揺れながら反対の方向に何時間も回り続ける盆踊りは、最も感動的な光景の一つと言えます。盆踊りはリズミカルで、陽気というよりは多少陶酔的なところがあり、自己主張がなく非個人的なもので、自然の魔力に取り憑かれた自然の崇拝者たちが輪を描いているといったらよいでしょう。(中略)
木々がうっそうと茂る暗闇、大きな寺の建物に至る階段、夏の夜の暖かな空気の中に灯る提灯に照らし出された踊りというのは実に印象的な光景で、決して忘れることができません。
            キャサリン・サンソム「東京に暮らす 1928-1936」

子供の頃、盆踊りがとても怖くて、親が櫓の方に手を引いていこうとするのを、「いやだーいやだー!!」と激しく泣きわめいて抵抗した。何がそんなに怖かったのかは流石に覚えていないが、ぼうっと揺れる提灯と、大きな太鼓の音と、人がぐるぐる回っていたことが強く印象に残っているので、きっと、上記の英国人の言うような、自然の魔力に取り憑かれた自然の崇拝者たちの熱狂ぶりに恐怖したのであろう。

「祭り」の非日常性だとか熱狂については、散々あちこちで語られてきていることだと思うが、本当に、何故こうも提灯が揺れているだけで、万国旗がはためいているだけで、「祭り」と書かれているだけで、人は浮き足立ってしまうのだろう。おかげで「パン祭り」だの「紙おむつ祭り」だの「ランジェリーフェア」だの、ヨーカドーなんて年がら年中祭り状態だ。

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昨夜は向かいの公園でお祭があった。大はしゃぎしている子どもたちの声が家の前を幾つも行き来するするのを聞いて、私もふらふらと様子を見に行ってみた。
どうだ、この「盆踊り大会」という横断幕の醸し出すキッチュな雰囲気ときたら。
会場に入ると、あちこちにビニールシートがひかれたり、机が持ち込まれたりして大人たちが酒盛りやバーベキューに興じている。その横では踊り手のおばさま方とご近所の方々が、死んだような目で奇妙な踊りを踊りつつ櫓の周りをぐるぐると回っている。
別にもう怖くはないけれど、やっぱりすごく奇妙でシュールな光景だな、としばし立ち尽くす。

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祭り会場の外には、ノスタルジックな光を放つ屋台が並び、その隣では近所の基督教会の若人たちが何故だかターンテーブルを持ち出し、HIPHOPを大音量でかけてホーとか言って盛り上がっていた。・・・まあ、盆踊りだから、踊ればなんでもいいんだろう。小学校のプール脇でターンテーブルを回したこともDJ人生のいい経験になるんだろう。
子どもたちは祭りと夜とに浮かれはしゃぎ、奇声を上げて走り回る者もあれば、土手によじ登る者もいる。

なんだ、なんだ、もう、大変なことになってるな。この小さな街が今、非日常性に包まれているんだな、これは大変なことだわ。大変な盛り上がりだわ、ああ、大変。
ハウルの動く城」でおばあさんにされたばかりのソフィのように「大変、大変」とうろうろ、おろおろしながらそそくさと帰ってきた私もきっとその熱狂に呑まれていたのであろう。
帰宅して、蚊に刺された足を見てまた「大変!大変」と浮足だったハレの日の夜。

東京に暮す―1928~1936 (岩波文庫)

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