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90億の神の御名

この世界のほんの些細なこと

絵のような女

美術・音楽

ルノアルの絵が好きな男がいた。
その男がある女に恋をした。
その女は、他人の眼からは、どうにも美人とは思われないような女であったが、どこかしら、ルノアルの描くあるタイプの女に似たところはあったのだそうである。
俳句をやらない人には、到底解することのできない自然界や人間界の美しさがあるであろうと思うが、このことと、このルノアルの女の話とは少し関係があるように思われる。
                     寺田寅彦「柿の種」


学生時代、インカレサークルの後輩でMくんという変わった男の子がいた。彼に関するエピソードはどれもなんだか70年代あたりの小説にでてきそうな内容だった。

例えば、とんでもなく頭がよくて模試では常に全国1位に名を連ねていたのに、センター試験でマークミスをしたために、京都大学に落ちて東京の私大に入学してきたという話や、神戸の震災で実家に電信柱が倒れてきて家が倒壊し、家族全員無事だったものの、やさぐれた彼は年上の女の家を泊り歩いて過ごしたという武勇伝、更に「スーツ着用」と言われた外務省関係の大真面目なセレモニーに哀川翔みたいな全身真っ白の細身スーツで参加したり、カラオケで尾崎豊の魂を召喚して「生まれてくるものたちよ!!」と絶叫してマラカスを叩き壊したり。

そんな彼が恋に落ちた。それも誰もが瞬時に理解する形で。
今時、プリントや本から半分だけ顔を出して、好きな女の子をガン見してはニヤニヤ笑うという、コメディタッチの「恋してます」アピールする奴なんて君しかいないのだよ、Mくん。
「ちょっと!ヤバい!Mくんヤバいって」「まめ、聞いてやって、Mくんの話!」
みんなにそう言われて、ミーティングの後で「Mくんさあ、Kさんが好きなんでしょ」と聞くと、Mくんは「えー?まめ先輩、なんでわかるんですかー?」と目をぎょろぎょろさせながら言う。イヤ、ほら、君、ちょっと見過ぎだから!若干、犯罪者か?ってくらい、Kさんの事見てるじゃん?
「えー、そんなに見てましたかー、ぼくー、隠れてたつもりやったのにー。」
テルマエロマエに出れそうな程に濃い顔の彼は、大阪とは多分違うんだろう柔らかい関西弁でゆっくりとなよなよ喋る。うん、隠れてないから!

それからMくんは毎日のように私に恋愛相談の電話をかけてきた。そしてなよなよした喋り方で言った。
「彼女ー、シャガールの絵ーみたいな子ーやないですかー」

え!!!!!!!!

好きな女の子を絵画に例える男の子を、私は生まれて初めて見た。
いや、それはともかくとして、Mくんも相当変わり者だったが、Mくんが恋に落ちたKさんだって、なんだこの生き物は、というくらいエキセントリックな女の子だったのだ。
みんなでサークル合宿に出かける飛行機の中で、突然おもむろにゆで卵の殻を剥き始め、あたりに硫黄臭を漂わせる暴挙に出るし、カラオケでは誰よりも先にマイクを奪い、朗々ともののけ姫のテーマを歌い出すし、突然キレて人をひっかくし。
あの子は・・・あの子は・・・シャガールの絵なんて、洗練されたものじゃない・・・。あの子の不安定さ、エキセントリックな感じ、ギョロギョロと動く目のイメージ、あれは!ムンクの「思春期!」

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わ、私にはKさんって・・・ムンクの「思春期」って絵にみ、見えるな!・・・と、恐る恐るMくんに告げると、彼は「そうですかー、ぼくはその絵は知らないんですよー、でもー、ホンマ、絵ーみたいな女の子ですよねー」と、嬉しそうに言った。


Mくんはその後、編入試験を受けて、第一志望の京都大学に移ってしまった。多分今頃は弁護士さんか何かになっているんだろう。Kさんは奇遇にもMくんの故郷の神戸あたりに嫁いだという話を風の便りできいた。
Kさんのご主人には、Kさんはどんな絵に見えているんだろうか。


柿の種 (岩波文庫)

柿の種 (岩波文庫)