90億の神の御名

この世界のほんの些細なこと

遠くへ

今日では、どのような旅行も、到達すべき目標や知り合うべき人びとといった準拠を持つ以上に、連続的な軌道上の純粋な移動、いわば乗り換え=トランジットに還元されつつある。われわれはこの旅ならぬトランジットのくり返しのなかで、属領性のひそかな喪失と不在に魅惑されている。
      吉見俊哉「リアリティ・トランジット 情報消費社会の現在」


そう、連続的な軌道上の純粋な移動。そして属領性のひそかな喪失と不在。
どこに行きたいわけでもなくて、ただ延々と知らない景色が見たいだけで、知らない景色を見ればまるで、新鮮で冷たい空気を吸えるかのように思って、青春18切符を使って始発から終電まで延々と電車に乗り続けていた事があった。たまに気が向けばどこかで降りて、所在ない顔でぶらぶら歩いた。

MDウォークマンでエンドレスでミスチルなんか聴きながら車窓からぼんやりと眺めた富山の海や、糸魚川セメント、長野の果樹園、提灯の下がっていた山口県のどこかの駅、直江津の鄙びたビジネスホテル、そんなことばかりが記憶に残って、ただ通り過ぎただけなのに懐かしく思い出す。


今年は久しぶりに時間があるから、青春18切符でまたぼんやりと景色を眺めてみようと思った。それで今日は時刻表片手に鉄子。日帰り予定。目的地もある。
最寄駅→JR→八王子→高麗川→高崎・・・という、yahoo路線では全く推奨してくれない、効率の悪すぎるルートで横川へ向かう。

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7時45分、八高線高崎行きのボックス席から、ずいぶん落ち着いた気持ちで、流れていく景色を見送る。
遠くへ、ともかくもっと遠くへと、逃げるように気を逸らせて電車に乗り続けたあの時と、こんなにも心持ちが違うのは、目的地が決まっているせいなんだろうか。