90億の神の御名

この世界のほんの些細なこと

絶対に泣けます

劇団四季の「オンディーヌ」に出演していた加賀まりこが、インタビューで言っていた言葉が印象に残っている。

「オンディーヌの3幕の、とても大切なシーンで、いつもは気合が入っているからテンションも高く、ボロボロ涙を流してセリフを言うところだが、100回以上も演じているせいかどうしてもうまく気持ちが乗らず、その日だけ、ほほ笑みを浮かべてセリフを言ってみた。そうしたらお客さん達が一斉にハンドバッグの留め金をあけてハンカチを取り出すのが見えた。その瞬間、何も、悲しいセリフだからといって泣くことだけを考えなくてもいいんだ、むしろほほ笑んで言うことでより現実味を増した芝居になることもありうるんだと気がついた」

1965年の上演時には、世の中はまだ、その抑えた演技に涙する感受性を持ち合わせていたのだろう。今、オンディーヌを見ても特に3幕で、それほどみんなが涙している感じではない。もう、世界の中心で号泣しながら愛を叫んだりしないと、伝わらない時代なのかもしれない。

愛と言えば、夏目漱石が、I love youという言葉を訳すにあたって「日本人は、愛しているなんて言わない、月が綺麗ですね、にしておけ」と言ったという有名なエピソードがある。
とても素敵だが、今の時代、絶対にそれでは通じないだろう。「月が綺麗ですねって言われちゃった、彼、私を愛してるのかも!」などと言おうものなら「あの子、結婚を焦りすぎてノイローゼかしら」と心配されてしまうだろう。


それが、「人に頭を使わせるのは不親切である」という親切心からきているのか、「誰にでもすぐにわかるようにしなければならない」というグローバルスタンダード的な考え方からきてるのかは知らないが、世の中はずいぶん直接的で単純化されたものばかりになったような気がする。
殺虫剤のCMは平気でリアルな害虫の絵を食事時でも構わずにお茶の間に流すようになった。おむつも生理用品も濡れた場面の実験まで見せる。
あけすけで直接的で、刺激的。すぐに理解できて興奮できて、すぐに泣ける。それが今の世の中の求めるものなんだろう。

だから書店や映画のキャッチコピーには「絶対に泣けます」「感動超大作」という言葉が並び、プロジェクトX熱闘甲子園もどんどん、大げさなお涙頂戴エピソードばかりになっていったんだろう。病気の友や天国のお父さん、プロジェクトの完成を待たずに亡くなった娘・・・。もはや様式美だ。

明日開幕の高校野球、組み合わせ抽選会も終わって、だいぶ気持ちが盛り上がってきた。この時期は毎年、PCの壁紙や携帯の待受けをABC朝日放送のものにしたりする。今年の写真はこれだった。

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うーん・・・と思いつつ、ダウンロードしたけれど、壁紙設定はできなかった。違うんだよなあ・・・、これじゃないんだよなあ、この顔が見たくて高校野球見てるわけじゃないんだよなあ・・・。球児たちだってきっと、この顔がしたくて野球をやってるわけじゃないんだよなあ・・・

でも、世の中はこれを求めているんだろう。一瞬ですぐに人の心をつかむこの顔、「絶対に泣ける」この表情を。
だから今年も、カメラマンの人たちは地べたに這いつくばってまで、ベンチ前で泣きながら甲子園の土を集める負けたチームの子の顔を撮りつづけるんだろう。
「絶対泣ける!どうだ、泣けるだろう!泣けよ!」と。

・・・違うんだよなあ・・・。