90億の神の御名

この世界のほんの些細なこと

優しさについて

バファリンの半分は優しさで出来てるとか言うけど、優しさなんかいらんのじゃ!欲しいのは効果!今すぐこの痛みを止めてくれること!
・・・と言うくらいお腹が痛かった日、痛み止めを求めて事務所に行ったら、事務所のお姉さんとバイトくんが、何やら真剣に話し込んでいた。どうしたのと聞くと「優しいって書いてみて」と言い出す。
なんとタイムリーな、と腹痛をこらえ、さらさらと「優」と言う字を書くと「あれー?」と言う声と「やっぱり!」と言う声が上がる。

どうやら「優しいという字のつくりの上は百か、かんむりにつくか」という論争が起きていたらしい。
パッと見の形だけで、優しさを判断していた私とバイトくんは百だと思っていた。事務所のお姉さんはかんむりにつくと思っていた。

パソコンに打ち込んでみるも、字が小さくてどうなっているのかわからない。
それで「優子ちゃん」を呼んでジャッジしてもらうことになった。優しい名前を持って生まれた子なら、正しい優しさを知っているだろうと思ったのだ。優子曰く「かんむりにつく」とのこと。

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それで私とバイトくんはしみじみ「私たち、優しさを履き違えてたね」「見せかけの、それっぽく見える優しさでいつも人をごまかしていたね」と反省した。

あれから「優」という字を書くたび、「優しさはかんむりにつく」と自分に言い聞かせている。
そして、自分が人にあげられるのも、人に期待するのも、形式的な優しさや、方法的な優しさだけなんじゃないか、なんてことも、少しだけ考えたりする。