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90億の神の御名

この世界のほんの些細なこと

此岸と彼岸

この世とあの世の間には三途の川が流れていると言う。そして亡くなった人は渡し船であちら岸へわたっていくのだそうで、その渡し賃が六文銭との事。
先日、友人のお祖母様が亡くなられて、友人もご両親と一緒に葬儀を取り仕切ったらしいのだけど、その後で言っていた。
六文銭ってどうすればいいのかわかんなくてさあ。とりあえず60円用意して葬儀屋さんに聞いたら、今は六文銭の絵の描かれた紙をもたせるんだって」
そうなのか・・・。絵に描いたお金で、三途の川の渡し人は納得してくれるのか・・・。
wikiによると「渡し船であの世に行く、渡し賃は六文」という考え方は平安末期から続いているそうで、その前は「橋を渡ってあの世に行く」事になっていたのだそうだ。橋だと行き来できるからダメなのかな。

川の向こうとこちらは、世界が違う。死生観の意味でも違うし、生活の上でもまるで違う。

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これは千葉と茨城をわける利根川。海のように大きい。

近所に住む、先祖代々続く農家の老人達は時々不思議なことを言う。「川向こうまで行くの?」「川こっちの人?」
川向こうはともかく「川こっち」・・・。
けれど感覚としてはよくわかる。川の向こうとこちらは、大抵の場合、違うコミュニティで、そこに断絶がある。川の向こうはまるで違う世界。
今だって、東京と神奈川は多摩川で隔てられている。川向うは東京。川こっちは神奈川。だから、会社や出かけた帰り、電車が多摩川を越えると「ああ、帰ってきた」とホっとする。逆に川をいくつも越えて遠くに出かけると、一つ川を越えるたびにどんどん不安になっていく。

ちょっと前に、会社で我々の部署が本社ビルから別のビルに移動になるかもしれないという話が出た。移動先はスカイツリーの近くだ。課長始め主任も同僚たちも私も「行きつけのカレー屋が遠くなるからダメ」「東京ドームが遠くなるからダメ」「通勤時間が伸びるからダメ」と散々反対しながら、地図を見ていたら、誰かが言った。「隅田川の向こうじゃん!無理

「隅田川の向こう」、その言葉を聞いた途端に胸の内が不安でいっぱいになった。電車に乗る時間がちょっと増えるくらいで着くことは着く。だけど、特に観光地でもないそこは、普段訪れることもない「知らない世界」。川の向こうだから余計に遠く感じる世界。

それで、川こっちの人たちは皆口々に言った。
「隅田川の向こうまでは通えません」「隅田川よりこっちなら震災があっても歩いて帰る気力があるけど、隅田川の向こうじゃ無理」
結局、その話は立ち消えになった。胸を撫で下ろしながら、ああ、やっぱり人には自然に「川は境界線」「川の向こうは別世界」という感覚があるのだな、と改めて実感した。
時として、旅行で行く海の向こうよりも山の向こうよりも、生活を隣り合わせた川の向こうの方が心細い場所のように思えてしまう。昔と違って交通も発達して、文化も生活習慣も何一つ違う所もないというのに。

そんな事をふと考えながら、今朝もまた、川を渡って会社に向かう。