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90億の神の御名

この世界のほんの些細なこと

情熱の視覚化

何度も何度も頭の中で想像を重ねたので、まるで現実にこの目で見てきたような気持ちになっている場面がある。
それは「今日安心して河豚が食べられるようになるまでの軌跡」だ。なにやら「プロジェクトX」風だが、昔の人にとっては正に命がけで取り組むプロジェクトXであったことだろう。

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私の想像の中では、こんな絵の河豚バージョンがあって、河豚を食べたいという情熱に駆られた男たちが車座に座り、「今日はこの部位だ」と被験者に説明の上、食べさせ、その結果を河豚の絵に書き込んでいくというものだ。ちなみに想像上の絵は毛筆で日本画タッチで書かれたものだ。
もしくは各部位を箇条書きにした巻物でもいい。欲を言えば表を作成して欲しい。

河豚料理屋を見る度に、「なぜ人はそこまでして河豚に挑戦してきたんだろう」なんていう誰かの疑問を聞く度に、その場面を鮮明に想像してきた。
が、特に河豚に執着はない。執着があるのは、その研究過程の方だ。


ところで、北大路魯山人の有名なエピソードに「納豆の食べ方」というものがある。曰く

何も加えず305回かき回す。醤油を入れて更に119回、合計424回かき回す(醤油は2~3回に分けて入れる)

この305回というのは、どのような研究過程を持って算出された数字なのか。300回ではダメで305回なのか。119回は120回ではダメなのか。
ここまで言うからには「今日は1回混ぜて醤油を入れて更に一回、今日は2回に醤油入れてから1回」など、様々な組み合わせでの挑戦があった上で、定められた数字であるはずだ。
数学は苦手なのでこの組み合わせが何通りできるのか想像もつかない。私だったら得意のエクセル表を作成する所だ。魯山人がどのようにして研究を重ねたのかは定かではないが、表作成を抜きにして、この回数設定は不可能ではないかと思われる。比較検討のために「25回+40回 だいぶまろやかさが出てきた」などという一言コメントも必須となるはずだ。

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10月に群馬の山に行った時に妙義の道の駅で三角の経木に包まれた納豆が売っていたので買ってきた。
開けてびっくり、粒がデカい!まさに大豆そのもの。
そう言えば以前、美食家の同僚の自宅には「母用のひきわり納豆」「父用の小粒納豆」「自分用の大粒納豆」の3種類が冷蔵庫に入っているという話を聞いて驚愕した。なんと!そんなこだわりが!

それなら、かきまぜる回数まで研究するほどの魯山人も、もちろん粒の大きさにもこだわりがあっただろう。きっと大粒派だな、あんな回数をかきまぜるには大粒でなければ豆が崩れてしまうもんな。魯山人なら「小粒など論外、味のわからぬ者が好んで食べる安物」くらいの事は言うだろう、と思っていたら、「魯山人味道」の中で「一番美味いのは、仙台、水戸などの小粒の納豆である」と言っているそうだ。なんだよ。

でもきっと、大粒と小粒の味の違いや産地による味の違いなんかも、表作成してランク分けしたりしてるんでしょ、大粒の場合のかきまぜ回数と小粒の場合のかき混ぜ回数も実は比較してあるんでしょ、ねえ、そうでしょ?研究には表作成による視覚化が欠かせないものね。

そして、想像を逞しくする私の頭の中には「部位図を前に河豚に挑戦する人々」や「情熱に駆られて表作成をする魯山人」の姿が視覚化されていくのです。