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90億の神の御名

この世界のほんの些細なこと

運命と美しさ

坂口安吾は「堕落論」の中で東京大空襲について触れ、こう書いている。
「けれども私は偉大な破壊を愛していた。運命に従順な人間の姿は奇妙に美しいものである」
「あの偉大な破壊の下では、運命はあったが、堕落はなかった。無心であったが、充満していた」
「偉大な破壊、その驚くべき愛情。偉大な運命、その驚くべき愛情。」
「私は戦きながら、然し、惚れ惚れとその美しさに見とれていたのだ」


自分の人生の中にある「従順にならざるを得ない大きな運命の渦」はあの、3年前の地震だ。
そして、当事者でないから、所詮他人事だから言えることだろうけれど、地震について、生きるか死ぬかという状況について、大きな運命について思うときにいつもこの坂口安吾の文章がセットで思い出される。

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昨夜は神奈川芸術劇場でNoismというダンスカンパニーの「PLAY2PLAY -干渉する次元-」という作品を見てきた。2012年のNHK「バレエの饗宴」で初めてこのカンパニーの「solo for 2」という作品を見て、心を鷲掴みにされた。
新潟の「りゅーとぴあ」という劇場専属のダンスカンパニーなので、新潟県外での公演は少ないけれど、関東に来てくれる時は見に行くことにしている。

このカンパニーの作品はいつも、シンプルな衣装、シンプルな舞台装置、シンプルな音楽、計算され尽くした光と影がまずあって、そこに鋭く美しい動きでダンサーが入ってくる。
そしてダンサーはいつも苦悩している。
生きていくことに、世の中のしがらみに、多すぎる情報に、うるさすぎる音楽に、逃れられない運命に。

「夢のように美しい存在」ではなく「いつか死ぬ生き物」「水と酸素と炭素でできているナマモノ」としての肉体が、必死にもがき、苦しむ姿は、冒頭の堕落論の文章のように美しく、その美しさに私は文字通り戦いていた。心が震えた。
およそ人間が作ったものの中で、こんなにも美しいものを今までに見ただろうか、とさえ思った。

これは2007年の初演のダイジェスト。
今回は改訂版とのことで、この動画とはやはり受ける印象が違った。
その改訂について、Noismの芸術監督の金森穰はプログラムに収録された挨拶や対談で何度も「3.11」とあの地震のことに触れている。

逃れようのない、偉大な運命。運命に従順な人間の姿。
その、あまりの美しさに身震いした。
まるで、激しく強い風の中で、息もできずにいるような。

Noism Web Site

・・・前にも似たようなことを書いていた。
運命 - 90億の神の御名
生きている身体 - 90億の神の御名