90億の神の御名

この世界のほんの些細なこと

理想の書架

私の本棚には自分の好きな本ばかりが並んでいるけれど、時々本棚をぼんやり眺めながら思う。「自分が一番読みたい本が入っている本棚はこれじゃない」と。

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写真は2枚とも、実家の本棚。
夏休みに実家に行ったら、母が「うちの本はもう好きに持って行っていいわよ、見ていく?」と本棚を開架してくれた。
机の下にもぐって、立膝をつきながら本を漁っていたら、「ああ、この本棚で私は育ったのだった」と強いノスタルジーに駆られた。まさかまだあの時のまま残っているとは思わなかった。もう自分の心の中にしか、あの本棚はないのだと思っていた。

母は「まめさん、あなた、まるで蔵の中で本を読んでる書生さんみたいよ」と笑いながら灯りを持ってきてくれ、「不思議ね。あなたはこの本棚に思い入れがあるんだろうけど、弟達は本なんて何も興味がないのよ、あの子たちは食器棚や階段箪笥の方が思い入れがあるみたい。同じ環境の中に居たのにみんなそれぞれ思い入れのある場所が違うのね」と言った。

汚れつちまつた悲しみに…―中原中也詩集 (集英社文庫)

汚れつちまつた悲しみに…―中原中也詩集 (集英社文庫)

学生の頃に買った集英社文庫の「中原中也詩集」のあとがきは秋元康で、高校時代に冬の図書室で女の子と交わした会話について、“なんとなくクリスタル”な感じで書いてある。彼の書くことだからそれがフィクションかノンフィクションかはわからないけれど、冬の図書室の感じはよく出ていて、自分が高校時代に過ごした学校の図書室のことを思い出す。
窓の外にグラウンドの土ぼこりが黄色く舞って、その中を男子たちが冬の必修科目ラグビーで走り回っていた。寺山修司歌集なんか胸に抱えながらそれを見ていた。
中学校とは本の揃いが段違いのその書架の前で、背表紙を眺めているだけでもずいぶんときめいた。大人になったような気持ちであれこれ借りたけれど、半分も読まずに返した本も多かった。
時々、無性に、あの図書室にもう一度行きたくなる。考えてみればあれは高校3年間しか使うことの許されない特別な場所だったのだな。

浮浪雲 (1) (ビッグコミックス)

浮浪雲 (1) (ビッグコミックス)

小学校の同級生、ともちゃんの家は壁一面が本棚で、おじさんの集めた本がびっしりと入っていた。と言ってもお堅い本ばかりではなくて、中にはマンガもちらほら混じっていた。ともちゃんの家に行くたびにその本棚の本を読ませてもらうのが楽しみで、時には大人向けマンガ「浮浪雲」を読んでエッチなシーンにドキドキしたりした。
去年同窓会で再会した時、ともちゃんがニコニコしながら言った。
「まめちゃん、本当に本が好きだったよね。うちに来てもいつも本ばっかり読んでたね。今ね、うちの上の子がものすごく本を読むの。それ見てたらまめちゃんのこと思い出してた」
・・・ごめんね、人の家に遊びに行って本ばかり読んでいて。でも思い出してくれて嬉しいよ。おじさんはどうしてるの?、と聞いたら、病気であまり良くないとのことだった。それで、ともちゃんちのあの、おじさんの本棚を懐かしく思い出した。

いつだってなんだって、もう手に入らないものだけが、長い間求めていたものであるかのように思える。
実家の本棚と、高校の本棚と、ともちゃんちの本棚。本当に読みたい本はそこにしかないような気がしてくる。いざ古本屋さんや図書館で同じ本を手に入れても、あの本棚にあったときほど魅力的に映らない。
読みたい本は読めない本。欲しい本は手に入らない本。理想の本棚は、心の中にある「あの頃の本棚」

だからこそ、実家の本棚が変わらずにそこにあってくれたことが、奇蹟のように嬉しかった。理想の本棚のままでいてくれたことが。