90億の神の御名

この世界のほんの些細なこと

2D・3D

ある朝、何の話のついでだったか、課長が言った。
「僕が若い頃にはね、一生懸命お金をためてステレオのラジカセを買って、電車の音を撮りに行ったんだ」
あら、課長、撮り鉄みたいな感じだったんですねー、と笑ったが課長の言いたいことはそういうことではなかった。
ステレオで取ると電車が右から左へ抜ける音がきちんとその通りに聞こえるのだそうだ。そして今の技術では更に多チャンネルになり、ヘリコプターが後ろから来て前へ抜けていくような音も立体的な臨場感を持って再現出来るのだという。
「できるだけ見たまま聞こえたままを再現しようとして技術は進歩してきているんだよね。今は映画も3Dになっているけど見た?機会があったら見てご覧なさい」

そう言えばカメラ好きな父は言っていた。
「カメラっていうのは人間の目の仕組みを再現しようとしているんだよ。シャッターを切るのはまばたきだ。でもね、なかなか人間の目と同じようにはできないんだよね。人間の目って本当にすごいんだ」
その後、自分もカメラを買って、でも風に揺れる花は上手く撮れないし、星空も夜景も月もどうしても失敗してしまいがちで、毎回「どうして見たとおりにならないのかしら」なんて思ったりする。

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課長と話をする少し前、ゴダールの「さらば、愛の言葉よ」という映画を見た。本当は3Dだけど2Dで。
それはいつものゴダールとそんなに極端には変わらないように見えた。あちこちに飛ぶ視点と繰り返されるモチーフ。意味ありげな言葉や意味ありげなシーン、意味ありげな音。
花瓶の外には花が豪奢に溢れていても、花瓶の中の水は濁って腐っている、というシーンが象徴するように、大層な言葉を並べて悲壮な顔で何を言おうと、動物と同じように排便して血を流して、けれど動物と違うのは枯れた花でも渡されたらまるで美しい宝物のように匂いを嗅ぐような様式美や、欲しいものは言葉でなくとも、言葉で表現するしか仕方がないだとか・・・。

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映画を見終わって外に出たら、土曜の夜の黄金町に輝くネオンサインは雨に洗われてキラキラとしていて、ドンキホーテやら通り過ぎるタクシーやらに書かれた文字たちに「世の中はつくづく消費されるだけの意味のない言葉でこんなにも溢れかえっているもんだ」と妙にしみじみした。

それからしばらくして、くみちょうさん(id:Strawberry-parfait)にお会いした。
いつもPCの中の平面の世界で、知っているようなつもりでいる人。でも実際に会ったことはない人。
知らないけれど知っていて、知っているけれど知らない不思議。
最初はドキドキしていたのか少し不安げに見えたくみちょうさんが、お話をするうちにどんどん「ああ、この人はいつもはこういう人なんだな」と花の蕾が開くみたいに緊張が解けていって、「きっと私も同じように不安げな顔からどんどんほどけていったんだろう」と思った。

個展を開催していたお店でニコニコしながらビールを飲んで、少し赤くなった顔のくみちょうさんがサントリー美術館に「若冲と蕪村」を見に早速行ってきたという話をしていたから、「行きたいな」と思っていた気持ちが私の心の中で「行かなきゃ!」という立体的な気持ちに変わって、行ってきた。
若冲の象と鯨の屏風の隣に蕪村の理想の村を描いたような屏風が展示してあって、近くで見るとぺったりして面白みがないように見えるのに、少し離れて見ると屏風の折りたたみによって奥行きが出たりして、これって計算ずくよね、昔からいつも人は奥行きを出すためにどうすればいいか頭をひねっていたのね、と思いながらしばらく眺めていた。

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「機会があったら3Dの映画を見てみなさい」という課長の言葉が胸に残っていた矢先、新宿で「さらば、愛の言葉よ」を3D上映しているというので行ってきた。赤と青のセロハンのメガネじゃないもので3Dを見るのは初めてだった。
2Dで見るのとはまるで違って、画面の面白さにばかり心惹かれ、話される言葉は全てBGMの一部のように通り過ぎて行く。映像というのは見たままであるかのように思っていたけれど、こうして奥行きが現れると、目で実際に見るのとは違っていたのだなと驚いた。
そして奥行きは生まれたにしろ、その奥にいる人間や奥にある物に厚みは感じられず、紙の人形がこっちに向かってくるみたいに見えるから、改めて「やっぱり人間の目はすごいんだなあ、見たままというのは難しいんだなあ」と思う。

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見たままをそのまま表すことが出来ないから、その事に必死になったり、映像も絵画も写真も、見たままとできる事とのギャップに意味を与えようとしたり、意味があるように見えたり、するのかしら。

2Dと3Dを行ったり来たりしながら、そんな事を考えていた昨今。
毎年桜が咲くと少し寒くなる。そして天気が悪くなる。
花冷え、花曇りという言葉が、字面の美しさだけでなく、現実の事象として現れることにも改めて感心しながら。