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90億の神の御名

この世界のほんの些細なこと

想像力より高く

泡沫 ごはん

寺山修司が「どんな鳥も想像力より高く飛べる鳥はいない」という一方でバイロンは「事実は小説よりも奇なり」と言うし、大江健三郎は「読書による経験は、言葉の正統なる意味あいにおいて、経験であるのか、読書によって 訓練された想像力は、現実への想像力たりうるのか? 」と悩んでいる。
妄想癖の強さを自認する私としても、想像力の力強さは充分に知っているつもりではあるけれど、それでもやっぱり私は、現実というものは想像をはるかに上回るような気がする。もちろん私が想像力を働かせるにあたって念入りに選好みをしているせいもあるだろうけれど。

物心ついてから何度も見せられてもう飽き飽きだよ、と思っていた原爆ドームを実際に見た時は凍り付いたし、うっかりセバスチャン・サルガドという写真家のドキュメンタリー映画を見てしまった時にはあまりのことに半分くらい目を閉じてしまった。
仙台の青葉城で見た伊達政宗の像は想像に反して両目を開いていたし、学生時代に韓国で「コンビニ行こうぜ」と韓国人に誘われてたどり着いた所はおばちゃんの経営する雑貨屋だった。
そんな風になんだかんだ現実はいつも想像を上回るような気がしている。

先日、このはてなで仲良くさせてもらっているくみちょうさん(id:Strawberry-parfait) にお会いした。
初めてお会いしたのは去年のことで、「現実に存在するんだ、現実に会うことが出来るんだ」というフレーズがまるでグレートギャツビーに出てくる哀れな自動車整備士の奥さんのように頭の中をぐるぐるとまわって、地に足が着かないような不思議な気持ちだった。
今年はもう少し落ち着いていたつもりだけど。

その次の日、ふらっと立ち寄ったデパ地下でたまたま駅弁大会をやっていて、くみちょうさんのブログで見て憧れた「ますの寿司」と、以前にこれまたはてなで仲良くさせて頂いているokko (id:okko326)さんが本場森駅に立ち寄った時には必ず食べるといういかめしを見つけて即買いした。


我が意に反して、いかめしは持ち帰り途中にそのタレを盛大にビニール袋の中に撒き散らしたし、蓋を開けると二尾と思いきや三尾!!という望外の喜びももたらした。
「手に入れられる日がくるなんて」と大げさに驚きながらまずは日持ちのしないいかめしを食べて、なるほど、これは随分滑るから包丁を入れた方がいいな、と実感しつつ、okkoさんはどうやってこの駅弁を小さな駅で食したのかと想像の翼を広げる。

翌日、ますの寿司の説明書きを読みながら包丁を入れて、くみちょうさんはこれをご主人と半分こしたのかしら、とか考えたり、この寿司を食べて絶賛したという徳川吉宗に思いを巡らせたりする。
もちろん私の頭の中の徳川吉宗松平健なのだけれど、きっと実際の吉宗はこれまた想像を裏切るような小男だったり、賢人だったり変人だったりするんだろう、貧乏旗本の新さんなんかじゃないのだ、間違っても。

そんなこんなの日々の中、来月くみちょうさんと、くみちょうさんブログにしょっちゅう登場するMちゃん、そして、okkoさんとこみち(id:kazenokomichi) さんにお会いできる会が開催されるとの事でまたしてもふわふわ浮き上がりそうになっている。
ブログからいろんな人物像を想像したり、くみちょうさんから色々お話を聞いたりして、どんな想像力を駆使しても現実はきっとそれを更に上回るんだろう。

あの震災から5年の日、未だ怖くて、必ず自分の想像を大きく上回るであろう被災地の映像も見れない自分が、浮かれてこんな記事を書いていることをちょっと後ろめたく思いながらも、想像を超える現実を心待ちにしている。