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90億の神の御名

この世界のほんの些細なこと

あたりまえ

この春のセンバツ高校野球の選手宣誓は小豆島高校の主将だった。
正直センバツの出場チーム選考には「大人のいやらしい思惑」が見え隠れしている気がしてしまうし、その上、宣誓文には更に「高校生らしく爽やかなキレイゴト感」を求める大人の視線を感じてしまう。
それでもやっぱり高校野球のいいところはいつもそういう大人の思惑を超える何かがあるところだ。


宣誓 今から92年前、第1回全国選抜中等学校野球大会が開催されました。その翌年に創部されたぼくの野球部は、来年の春、高校の統合に伴い、新しく生まれ変わります。当たり前にあった景色がなくなる。その重みをぼくたちは忘れたくありません。当たり前にある日常のありがたさを胸に、ぼくたちはグラウンドに立ちます。そして、支えて下さる方々を笑顔にできるよう、気迫を前面に出し、全身全霊でプレーすることを誓います。
http://www.asahi.com/koshien/articles/ASJ3N3QZCJ3NPLZU002.html

高校球児には珍しく普通の髪型。昨今では増えてきたけれど声を張り上げるのではなく普通のしゃべり方。
そして震災や世相など全方位を気にかける発言が多いここ最近の流れの中で、割と個人的な内容で来たな、と少し驚いた。

昨年末、たまたま安田菜津紀さんというフォトジャーナリストの方のお話を聞く機会があった。震災の話だとかシリア難民の話だとか。
私はまるで知らなかったけれど、シリアはあのオシャレ女子に大人気のアレッポの石鹸の産地で、ISが来る前は人々はごく普通に平和に暮らしていたらしい。
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これ。私も使ったことある。これで私もオシャレ女子!と浮かれながら。

ある日突然、「当たり前の生活」ができなくなってしまったから、お金に余裕のある人は海外逃亡の道を探す。それが難民なのだそうだ。
一時期「難民なのに携帯電話を持っている」とか「難民なのにいい服を着ている」とか「難民なのに生活レベルへの要求が多い」などと話題になっていたが、なんだ、そういうことだったのか、と驚いた。
当たり前の生活をしていたのだ。できるだけ「今まで通りの当たり前の生活」をしたいと願うのは当たり前のことだ。
もちろんだからと言って、全員を助けられるわけでも受け入れられるわけでもない。私の家に来たらどうか、なんてとても言えない。
「当たり前の生活」ができていた頃のシリアの写真を見せてもらったら胸に迫った。

君とまた、あの場所へ: シリア難民の明日

君とまた、あの場所へ: シリア難民の明日

自分だっていつ、突然に当たり前の生活ができなくなるかわからない。
事故や事件や、人生の落とし穴や、世界情勢の流れや、災害や運命の中で。
九州の人たちは今、当たり前の生活をなくして鳴り響く緊急地震速報に怯えているんだろう。
あの音にノイローゼになりそうだった5年前、空っぽになったスーパーの棚や、計画停電で恐ろしく真っ暗になった街に「当たり前の生活をなくした」とひどくショックを受けた。
当たり前を失った時、当たり前の存続が危ぶまれる時、当たり前のありがたさを知る。

今日、当たり前の生活が出来て良かった。
ベランダの桜に水をやりながら小豆島高校キャプテンの宣誓をずっと思い出していた。
早くみんな、誰も彼もが「当たり前の生活」を取り戻せるといい。