千夜一夜物語
あれはリーマンショックの頃。
人生初の転職活動に勤しむも、ことごとくお断りされて泣いたり落ち込んだり生活の不安に怯えながら、その不安を振り払うかのように私は保存食作りに夢中でありました。
こんな本も買い込んで。
- 作者: 石原洋子
- 出版社/メーカー: 家の光協会
- 発売日: 2008/03
- メディア: 単行本
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4月に会社を辞めて、6月までは有給がある。その頃はまだ「なんとかなるだろう」と鼻歌まじりで梅酒を仕込み、実山椒を炊き、ぬか床をかき回していた。
初めてのSPIテスト、そして圧迫面接に「30代に植木算とかやらせないでよ」「ダメ人間か、私は」と項垂れながら開き続けたカタクチイワシ。アンチョビを作る過程で出た汁がナンプラーなんだって。2度おいしい。
キャリアアップのために転職を繰り返しているというITマンにご飯をご馳走してもらうも、「まめちゃんさあ、それじゃダメだから!大学中退でも卒業って書かなきゃダメ!バレないし。過去の仕事とかも遠慮がちに書いちゃダメ!“プロジェクトリーダーでした”とか膨らませて言っとかないと!」とアツく経歴詐称を薦められ、居酒屋の片隅で「…大人って汚い…」と涙目になったのもこの頃のこと。
帰宅後、夜中の台所でしょんぼりと梅酒の瓶を回して浸かり具合を眺めたものでした。
とりあえず食いつながなければと派遣会社2社に登録したのが7月。少しでも仕事の紹介量があがるようにEラーニングでExcel研修なんて受けながら福神漬を仕込んだ。仕事が決まらないのと同じくらい、なた豆をどうやって入手するかに悩んだけれど結局手に入らなかったな。
憧れは梅干しと自家製味噌だった。でもそこまで大きなことが自分にできるとは思えなかった。
面接でだって、ライフプランだのキャリアプランだの、大げさに語ることはどうにもこうにも上手くできなかった。
- 作者: 曽野綾子
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2003/05
- メディア: 新書
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仕込んだら、あとは時間が美味しくしてくれるのを待つばかりの保存食の容器それぞれに、私は夜な夜なアラブのことわざを貼り付けた。
辞めた会社にいた同僚が、夜毎日毎にA4四つ切りサイズの紙でアラブのことわざ入りカレンダーを自作しており、お裾分けしてもらったのだ。たまにドラえもんからの格言もあった。
保存食の容器に貼り付けたアラブのことわざは「悩むならラクダ 惚れるなら月」だとか「性急は悪魔から 余裕は神から」とかそんなの。
よく意味がわからないものもあったけれど、そこがまた良かった。
✳︎
それから月日は流れ、運良く今の会社に入ることができて、あの時の実山椒をお弁当に入れていった。
薄曇りの社員食堂、東京ドームを見下ろして、先輩に「それなあに?」なんて可愛らしく尋ねられつつ実山椒を噛みしめて「仕事があるって素晴らしいな」と思ったものだ。
仕事が決まったら保存食熱は徐々に冷め、実山椒の季節でさえ忘れかけていたら、つい先日okkoさん(id:okko326)のブログで目の覚めるような色の実山椒に出会った。
ああ、懐かしいな、でも今年はもう無理かなと諦めかけていたら、職場の人が「週末に道の駅で実山椒が売ってて買ってきた」と、タイムリーな話をしてくるので、もうどうしても実山椒を炊きたくなってしまう。
それで慌てて大きな八百屋に行って、お店のおばちゃんに「まだあって良かったわねえ、来週だったらもうないわよ」なんて笑われる中、3パック買ってきて昼は下処理、夜は火にかける。
仕事がなかったあの頃のこと、アラブのことわざカレンダーを作っていた同僚の女の子のこと、曇り空、前の家の台所、カタクチイワシのパックを抱えて歩いた下り坂、仕事がある今のこと、今年もアラブのことわざ貼ろうかどうか、長い長い物語のようにあれこれと考えてしまいながら。
多分もう、ことわざは貼らない。