90億の神の御名

この世界のほんの些細なこと

生きられた時間

この前「明日から甲子園開幕!」と書いたのに、今日でもう終わり。作新学院おめでとう。
オリンピックも終わるし、夏が駆け足で過ぎていく。

若かりし日はサービス業に就いていたので、人と同じ頃に休みが取れず、旅行に行くのは大体夏が終わりかけてからだった。
青春18きっぷで朝から終電まで延々乗り続けたり、下道を車でひた走ったり。

途中駅の黒磯でブリヂストン工場が燃えて黒煙が上がっていた、あれはもう13年も前か。
仙台の友人の家に行くのに、どうせヒマだし、余ってるし、お金ないし、と青春18切符で鈍行列車を乗り継いだ。朝早く出ても到着は夕方で友達のおばさんに「大変だったね」と笑われたっけ。
それから海に連れて行ってもらった。夏も終わりかけて波が少し荒くて、閑散とした地味な海水浴場。防砂林がちょっとしたトンネルみたいになって、その向こうに海が見える所を写真に撮った。あの時の写真、結構気に入っていたのに、いつの間にか消してしまったみたい。

そういえばぼくたちでさえ、旅でふしぎに印象に残る時間は、都市の広場に面したカフェテラスで何もしないで行き交う人たちを眺めてすごした朝だとか、海岸線を陽が暮れるまでただ歩き続けた一日とか、要するに何かに有効に「使われた」時間ではなく、ただ「生きられた」時間です。
見田宗介社会学入門」より

社会学入門―人間と社会の未来 (岩波新書)

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あの海、あの夕方、きっと「ただ生きられた時間」だったんだろう。不思議に印象に残っているもの。

このお盆、大相撲仙台場所に合わせて、久々に仙台に行った。7年ぶりくらいか。
そしてあの海に連れていってもらった。
防砂林がなくなって、観音様が立っていて、丁度お盆だからお花を備えに来ている人が結構いた。

「まめちゃんをここに連れてこようって思ってたんだよ。あの時、一緒に来たじゃない。津波で何もなくなっちゃったんだけどさ」
本当に何もなくなっていた。

駐車場の近くにかつての姿を展示している場所があった。
そうそうこれ!この入り口覚えてる!すごくよく覚えてるのに!
…覚えてるのに、もうないんだな。

あの時よりも高くなった、まだ新しい防波堤に座って、あの時と同じように砂浜に長く伸びる自分たちの影を見ながらお喋りする。
「この先の道がカーブになっていて、帰りはそっちを通ったよね」

でもカーブの先に道はなくなっていた。壊れてしまっていた。
この5年半、被災地の写真は折に触れて見てきたけれど、いざ本当に目の当たりにすると、折れた標識に、ちぎれた鉄のロープに、まばらにしか残っていない防砂林の松に、絶句するしかない。もう5年半経って随分綺麗になっているのにそれでも。
たった一度この海を訪れただけの私でさえ、こんな喪失感に打ちのめされるのに、住んでいた人の喪失感は如何ばかりかと思う。
ただ生きられた時間がいくつもそこにあったろう。

これは被害のひどかった閖上地区の朝市。市場で買った貝や魚をその場で焼いて食べられるので大賑わい。
すごい浜焼き臭。人間って逞しいな、昔からずっとこうやって生きてきたんだな、となんかしみじみする。

浜焼き用に醤油たれ各種を取り揃えたお店まであるんだもの。気の利いてる事この上ない。
近くにはマヨネーズ&七味も置いてあった。鉄板ですよね。

仙台市水族館に展示されてた牡蠣の採苗器。日本では帆立貝を使うのが主流だけれど、フランスではプラスチック製が主流で、何度も洗って使えるのが利点。あの津波で全部流されてしまった三陸にフランスがプレゼントしてくれたんだそうな。漁師の心意気だな。いろんな支援があるんだな。

こんな貝殻だとかエピソードだとか、無造作に山積みにされたスイカなんかの光景がまた、「生きられた時間」として、ずっと何年も心の中に不思議にくっきり残っていく。津波の爪痕の衝撃と一緒に。


さて、本日よりスペインに行って参ります
ただ生きられた時間を積み重ねられたらいい。