90億の神の御名

この世界のほんの些細なこと

ご趣味は

我が家では、野菜を包んだりする為に古新聞を四つ切りにして台所に置いてある。
今朝、ほうれん草を包もうと手にした新聞に
「趣味は野鳥観察と音楽鑑賞。日本野鳥の会会員です。モーツアルトの曲を聴くとまるでモーツアルトが隣に座って話しかけてくれるようです」
といったことが書いてあり、なんだ、なんだ、とまじまじと見た所、選挙の際に行われる最高裁判所裁判官国民審査に当たっての裁判官のプロフィール情報であった。

選挙に立候補する議員は別に趣味を公にアピールする必要はないのに、審査される裁判官は趣味まで公表しなければならないのか。
もちろん「今までどのような裁判に関わって来たか」という事も「裁判官としての心構え」も書いてある。
しかし、心構えはともかく今まで関わって来た裁判など、読んだ所でよくわからない。
「第一審の判決を控訴審が事実誤認を理由として破棄するには、第一審判決の事実認定が論理則、経験則等に照らして不合理で…」とつらつら書かれても????と頭にはてなマークがいくつも並ぶばかりである。

そうなってくると、あとは心構えと趣味で判断するしかないのかもしれないが、果たしてこのように公表されたり評価されたりする場所において、無難な趣味以外を述べる人がいるだろうか。
見合いの席や入社試験だって、適当に音楽鑑賞だの読書だのと無難なものをいうのが普通であり、「ギャンブルが好きです」とか「ネットサーフィンです」などという人はまずいないだろう。
もちろん対外用の趣味と実際の趣味が同じ人も多いだろうけれど、趣味とは本当に何かの判断材料となりうるものであろうか。
ましてや最高裁判所の裁判官という職を続けて良いかどうかの判断に。

f:id:mame90:20130308092321j:plain

Wikipedia最高裁判所裁判官国民審査について調べると、次のように書かれている。

アメリカ人で東京大学教授のダニエル・フットは、日本では市民の意向が国民審査によって反映される状況になっていない事を指摘している。オランダ人ジャーナリストのカレル・ヴァン・ウォルフレンは、日本の社会に関する論説の中で、国民審査の制度について「この“直接民主主義”は純粋に儀式的な、そえ物」と表現している

純粋に儀式的。英語の直訳ってすごいな。
でも確かにそうだ。
こうやって新聞に、まるでお見合いの釣り書きみたいにご趣味や人柄、経歴を載せられたら、後は若いお二人でお庭を散歩して鯉を眺めたりするしかないではないか。儀式的に。


余談ですが、このDVDの詳細情報には「出演:鳥」と書いてあって「鳥!確かに!」と驚く事ができます。
私の趣味はこういう些細な事で一人、気持ち悪く、フフとほくそ笑むことです。
儀式的には「スポーツ観戦と読書ですわ」と満面の笑みでお答えしますけれど。