90億の神の御名

この世界のほんの些細なこと

夜明けの色

スポーツについて、いつもとても愛情深い記事を書いている薫さんの「風が強く吹いている - 風が薫るとき」という記事と、その記事のコメント欄でくみちょうさん (id:Strawberry-parfait)に力強くお薦めして頂いたことから、三浦しをんの「風が強く吹いている」という箱根駅伝を題材にした小説を読んだ。
小説を読んだ、と言うよりも、一つのレースを観戦したような気持ちで、その世界から抜け出せずにゴールしたらまたスタートに戻り、2度3度と読み返してついにはツタヤでDVDも借りてきた。本当はツタヤに置いてあれば漫画版も借りる勢いだった。DVDでは、主人公カケルの見た目と走りっぷりはイメージ通りだったけれど、如何せん陳腐な出来で興ざめであった。まあ、ここで興ざめしなかったら、私はこの小説の世界を10往復くらいしていたのだろうけれど。

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※写真は、風が強く吹いていた日、電車の中から撮った房総の海

元々、箱根駅伝になんて何の興味もなかった。それどころか「東京から箱根まで走って往復とか!ロマンスカーじゃダメなの?」とさえ思っていた。

あれは1999年のお正月。当時、百貨店の商品センターでデータ入力の仕事をしていた私は第一京浜のすぐ隣にあるビルで正月も出勤して新春セールの伝票入力をしていた。当然、第一京浜箱根駅伝のルートだから1月2日も3日もすごい人だかりで、コンビニにお昼を買いに行くのも一苦労だわ、たどりついたコンビニのショーケースはほぼ空っぽだわ、ただ買い物に来ただけなのに読売新聞の小旗を配られ「沿道の皆さんはこれを振って下さい」と指示をされるわで、「邪魔!」とイライラして腹をたてていた。
1月3日復路、買い物に行く私のすぐ近くを、法政大学の選手が必死の形相とものすごいスピードで駆けて行った。会社に戻ってテレビを見たら、彼は鶴見中継所でわずかに時間が及ばず、襷がつなげなくて泣き崩れていた。
そんなルールも全く知らなかったけれど、泣き崩れる彼を見ながら「ああ、あんなに一生懸命歯を食いしばって走っていたのはそのためだったの」とぼんやり思った。

夕方6時に仕事を終えて、第一京浜をわたって帰る。箱根駅伝が終わったお正月の第一京浜はまるで真夜中みたいに車も少なくひっそりとしていた。それで、なんとなく思い立って走ってみたのだ。「あの人達、ここを、このアスファルトの上を、ものすごいスピードで走っていたな」と思って。
寝坊以外で走ることなどほとんどない私の走りは鈍重で、頭の中にある、昼間の彼らのイメージにはまるで及ばないどころか、20メートルくらいですぐにゼエゼエと息が切れて走るのをやめた。

あの時、初めて箱根駅伝を走る選手を尊敬した。そして泣き崩れるほど一生懸命になるものがある事を心底羨ましく思った。データ入力の仕事はとても単調で、時折「私が行かなくても私の右手だけが出勤すればいいんでしょ」と投げやりになったりしていたから。

小説の中で口下手な主人公カケルは訥々と言う。
「きれいだから、つづいたんだと思う。走る姿って、きれいだから。だから箱根駅伝を見たひとは、いいなと思って、応援したり自分も走ろうと頑張ったりするんだ」
そう。あの日、泣きそうな顔で歯を食いしばって駆けていったオレンジのパンツのユニフォームは、確かにきれいだった。例えそれが、襷が途切れてしまう程に疲れ切った足取りだったとしても。
だから、カケルの言葉通り、いいなと思って箱根駅伝を応援し始めたのだ。きれいな何かに向かってきれいに走る彼らに憧れながら。

ずいぶん軽い内容にされてしまったDVDの始まりと終わりは夜明けの多摩川べりで、濃紺の空の下の方からオレンジ色の朝日が昇ってくる。
ああ、あの日、駆け抜けて行った法政大のユニフォームの色だな、と思った。

風が強く吹いている (新潮文庫)

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風が強く吹いている [DVD]

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