90億の神の御名

この世界のほんの些細なこと

かけがえのない金魚

これは鯉だけど。

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日曜日のお祭りの夜、金魚の入った袋を下げた女の子に、お母さんが「すぐ死んじゃうよ」と言っていた。
そうだよ、金魚ってすぐ死ぬんだよ。
いつも不思議になるのだけれど、これが動物だったら獣医さんがいるのに、虫や魚にはどうしてお医者さんがいないんだろう。「治療すべき」「治療の必要なし」「死んだら困る」「死んでも仕方ない」って人間の基準で勝手に決まってるんだろうか。


かつて劇団に勤めていた頃の夏、私が遅番出勤するなり、警備さんが困った顔で「金魚が死んだんだけど」と言い出した。
え?突然何を言ってるの?金魚?誰が劇場で金魚飼ってたのか知らないけど、夏だし、そりゃあ死んだりもするんじゃない?
「いや、俺が勝手に触るわけにいかないと思ってさ。埋めてやってもいいかなあ」
警備さんは何度も何度も金魚の処置について尋ねてくる。ああ、優しいのねえ。どうぞ、どうぞ。金魚のお墓のある職場ってなんだか不思議ね。
そんな風に同僚と噂をしていたら、2時間後、出勤して来た小道具さんや舞台さん達から慌てた声で続々と内線が入ってきた。
「金魚がいないんですが知りませんか!」
あ、舞台さん達が飼ってたのか。あのね、死んでたみたいですよ。

すると声音がガラっと変わり「死んでた!?いつですか?」「誰が最初に発見したんですか!」と切羽詰まった声で矢継ぎ早に問われる。
ちょ、ちょっと!金魚でしょ?何、そんな殺人事件の事情聴取みたいな…。そんなに大ごとですか?極めつけに「どこに埋めたか」と問われ、警備さんが植え込みに埋めてくれた旨を伝えると、警備さんも連行されて現場検証が始まった。

何?本当になんなの、これ。みんなどうしちゃったの?どれだけ大事な金魚なの?ちょっと騒ぎ過ぎじゃない?
唖然とする我々に続報が入った。なんと、あの金魚は現在上演中の芝居の出演者だと言うのだ。

!!!そう言えばいたね!舞台下手の金魚鉢の中で、ひらひらと泳ぐ自然な演技をされていたわね!
事ここに至ってようやく我々も、失ったものの大きさに気がつき、顔を見合わせしばし黙り込んだ。今から金魚はすぐに手に入るのか、今夜の舞台はどうなるのか。金魚さんなしでの上演か、その場合、金魚鉢ごと撤去か。

不安に若干顔を強張らせながら迎えた開演、モニターをチェックしたら、金魚鉢の中で二匹の金魚がひらひらと泳いでいた。
「金魚いる!」「代役がいたのかなあ、それとも買ってきたのかなあ」「とにもかくにも良かったねえ!」と、みんなで胸をなでおろした。
あの後、幕が上がるたびに、みんななんとなくモニターをチェックしては「今日も金魚元気そうですね」「上演中にスポットライトの熱で死んだりしないのかな」「いや、金魚さんだって、舞台の上で死ぬなら本望なんじゃないの」と毎日話題になったものだ。


金魚はすぐに死ぬ。いつの間にかその死に何とも思わなくなった。けれど、あの芝居の公演期間中、金魚は大切な出演者で、死なれては困る存在だった。
人間の都合で命の価値がまるで変わるという事の、この不思議さよ。