90億の神の御名

この世界のほんの些細なこと

八月は

八月は逝く いくたびも 逝く 逝くものを 残して逝きしうつせみも逝く 山中智恵子


8月6日8時15分、8月9日11時2分、8月15日正午。黙祷の為のサイレンはいつから鳴らなくなったのだろう。
子供の頃は必ず、市の公共放送用のスピーカーからサイレンが鳴って、街はシーンとしていた。
あれが鳴らなくなって、本当に「もはや戦後ではない」のだなと思った。

米軍基地のすぐ近くに住んでいたので、時折、基地でサイレンの音が鳴り響き、サーチライトが夜空をめまぐるしく駆け巡ることがあった。
何があったのかはまるでわからないまま、脱走兵だろうかとか、空襲警報みたいだと、不穏な気持ちで夜を過ごした。

それも含めて、8月はよくサイレンが鳴っていて、その度に戦争が胸をよぎったものだ。甲子園のサイレンでさえ戦争の予感を感じさせた。


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八月は、いつも、まるで毒々しい花の色みたいにくっきりと「生きること」と「死ぬこと」を人の目の前に突きつける気がする。

それは日差しが強いせい?
あちこちに蝉が抜け殻を残すせい?蝉やカナブンの死骸が、当たり前のようにそこかしこに落ちているせい?
戦争が終わったせい?原爆が落ちたせい?肝試しの怖い話のせい?
桃売りが漂わせる、熟した果実の匂いのせい?不思議な飛び方をするトンボのせい?
雷か、ひぐらしか、焼けたアスファルトの上を走る自転車のタイヤの静かな音のせいか。