90億の神の御名

この世界のほんの些細なこと

秋というとき

秋という字を「とき」と読むと知ったのは、授業に漢文が入ってきた頃だったかしら。なんでも、五穀が実る、一年で一番大切な時期だから「とき」と言うらしいとの説明を聞いたような気がする。

「一日千秋の思い」という言葉は、一日を秋が千回巡るほどの思いで過ごす、という意味で、千秋は千年と同義に使われる言葉なのだそうだ。
秋が千回で千年。それは当たり前のことかもしれないが、秋という言葉を「とき」と読むと知った途端に、その当たり前の事がまるで、星を眺めて宇宙に思いを馳せる時や、大昔の人の暮らしを想うように広がっていく感じがする。

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劇団に勤めていた頃、初日ももちろんだが、千秋楽はとても大切な日だった。「千穐楽」という字を使っていたのだが、これは「秋」という字のつくりの「火」を忌み嫌って「穐」にしたらしい。確かに昔の芝居小屋は木造だもの、火気厳禁ね。
毎回、楽が近づくたびに「ああ、やっと終わる、ついに終わる」と少し疲れたため息をつきながら「千穐楽」のボードを用意した。そして、その文字を眺めながら「千年のときか」とひっそり思っていた。
どういう訳か、その時は「千秋」という言葉にしか思い至らず、「千秋楽」という言葉の語源について考えたことがなかった。

「千秋楽」は大昔、能狂言や法会の終りに同名の雅楽が演奏されていた事にちなんでそう呼ばれるようになったらしい。また、芝居の最終日に興業の主催者が舞台で「千秋楽」を舞うこともあったとのことで、言葉の意味は「千年の先まで楽あれ」というそうだ。

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台風が過ぎたら、すっかり涼しく秋らしくなってしまい、「ああ、秋が来た、ときが来た」と少し怯えて気を張って過ごしている。
だんだん寒くなっていく。日差しが弱くなっていく。そんな中、空は青く、空気が澄んで、もうすぐ枯れゆく草木がくっきりとした姿で風に吹かれている。月も星も夜空に美しく光る。
ああ、これで金木犀が香り始めたら、ものすごくさみしい気持ちになって、心が沈んでしまう。なんとかこの時期を無事にやり過ごさなければ。去年はどうしていたっけ、一昨年は?
毎年、やりすごすためにあれこれと策を練るからこの時期のことは割とよく覚えている。一昨年は飲み会の予定をたくさん入れた。その前は中秋の名月の日に友達と長電話をしていた。そして去年は、友人たちと酔っ払いながら百人一首の話をしていた。誰かが上の句を言って、下の句を答える。そして「私たちってインテリジェントねえ」と大笑いした。まるで田辺聖子の小説に出てくるオールドミスみたいだ。

百人一首の中の秋の歌はやはりどこか物悲しい。
「月みれば千々にものこそかなしけれ 我身ひとつの秋にはあらねど」
「おく山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の 聲きくときぞ秋はかなしき」
そうか、大昔の人でもこの時期はメランコリックになっていたのか、と千年前の秋というときに思いを馳せる。千年先の人も、物悲しい気持ちでこのときを迎えるんだろうか。