90億の神の御名

この世界のほんの些細なこと

その時歴史が動いた

こないだの3連休最後の日に、箱根駅伝2区を歩いてきたのだけれど、鶴見中継所を出発して2キロあたりから目につき始める「生麦」という地名に、どうにもこうにも生麦事件が気にかかって仕方なくなった。

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薩摩藩の大名行列を横切ったイギリス人が「無礼者!」と斬られて死ぬ。国際問題に発展し、薩英戦争が起こる」

これが私の知っていた生麦事件の全て。
このあたりで、そんな血なまぐさい事件が起きたのか。でも大名行列を横切るのはダメだなあ。いくら外国人だからって、それはあまりに無礼千万、郷に入っては郷に従えですよ、おまけに相手が薩摩藩て、そりゃあ斬られるわ・・・。そんな事を延々考えながら東海道を歩き、帰ってきて早速生麦事件について調べた。

目から鱗 街道を歩く7 生麦事件4
目から鱗 街道を歩く8 生麦事件5

このサイトがとても詳しいけれど、斬られたリチャードソンは「臓物のような物の出た状態」でその場から馬で1キロ程逃げるも力尽きて、現在のキリンビール工場前あたりで落馬し、薩摩藩士が介錯をしてとどめを刺したとのこと。しかも礼に則って「首の皮を一枚残した状態」だそうだ。恐るべし、薩摩藩士・・・。
また、別のサイトには「駕籠から島津公が顔を出し、「斬れ!」と命令した」などとも書いてあった。おお、時代劇そのものではないか。

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これはリチャードソンが落馬した辺りの当時の様子。
横浜外人墓地にあるリチャードソンの墓には「近代国家成立の発端となった生麦事件」と書かれているらしい。私は歴史にまるで疎いのだが、調べてみたら本当にこの事件を皮切りに、様々な物事を巻き込んで時代が加速していったんだなあ、歴史上の有名人がやたらめったら登場するなあ、と驚いた。
この事件の後、「薩州様が攘夷をされた」と世間では尊皇攘夷の気運が高まり、薩摩藩は「誰か知らない足軽がやったこと。本人は行方不明」としらを切って幕府やイギリス海軍の追求をかわし続け、業を煮やしたイギリスは、直接鹿児島に入港。そして薩英戦争が始まる。

薩英戦争!!イギリス対鹿児島!一つの国と都道府県との戦い!
グレートブリテン及び北アイルランド連合王国薩摩藩!!・・・なんたること!!

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wikiの薩英戦争のページを見ても、何だかいろいろおかしい気がする。ヴィクトリア女王と島津公がイーブンて!
おまけに「イギリス艦に対して奇襲を計画し、国書に対する答使とスイカ売りに変装し艦隊に接近した。」などと書いてある。女王陛下のロイヤルネイビーとの戦闘に際し、スイカ売りに変装!!すすす、すごいぜ、薩摩藩士。
そして、この薩英戦争は英国と薩摩がそれぞれ「お前なかなかやるな!!」「ああ、お前もな!」と少年漫画のようにお互いを認め合って終わるのだ。

この私でさえ「薩摩は気性が荒い」という印象を持つ程、大河ドラマや歴史小説のあちこちで常に薩摩藩士たちは八面六臂の活躍をしている。時に悪役となり、時に日本を近代化に導くリーダーとして。
これだけ入り組んだ歴史の中で、正しい正しくないを判断することなどできないけれど、こうして生麦事件から薩英戦争を振り返って今言える事は、一つ。
「すごいぜ薩摩藩士!」