90億の神の御名

この世界のほんの些細なこと

もはや退けない

よしもとばななが何かの小説の中で「男の人って一人でどんどん暗くて狭い所に入り込んで行こうとする性質がある」というようなことを女の子に言わせていた。
年に一度くらい、ふと思い出して、いったいあれは何の小説の中の言葉だったっけと探すのだけれど、もう何年も見つけられずにいる。今、もう一度本棚の前に座り込んで頁を繰ってみたけれど、やっぱり見つからない。
確か、男の人のそういうところってどうしようもないけど、でも我々女って、そういうところに惹かれたりしちゃうんだよね・・・というようなニュアンスで書かれていたような気がする。

「The point of no return」という言葉は元々は航空用語で「帰還不能点」「飛行機がもはや出発点に戻る燃料がなくなる点」を指すらしい。まるで知らずに、愛憎で使われるイメージを抱いていた。私が初めてこの言葉を聞いたのは「オペラ座の怪人」のあの曲のせいだったから。

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英語で「Past the point of no return」と歌われる歌詞は、劇団四季のミュージカルでは「もはや退けない」という訳があてられている。
主人公クリスティーヌはどうしたって、あの優男ラウルと真面目にお付き合いする方が幸せになれるはずなのに、そんなことはわかりきっているのに、どうしてもどうしても「悪い男」ファントムに惹かれてしまうのだ。ファントムだって、この先どうする、どうなるあてがあるわけでもないのに、どうしてもクリスティーヌに惹かれてしまい、彼女を離すことができない。そして二人は「もはや退けない」ところまできてしまうのだ。

もはや退けない
行く手にはただ一筋の道が
もはや戻れない

この「もはや退けない」具合がものすごく官能的で切なくて、いつも胸が震える。
よしもとばななが言うとおり、男の人にはこうやって「もはや退けない暗くて狭い所」に自分を追い込んでいこうとする傾向があって、その、他の事なんて何一つ見えていないような必死な目が、ぞっとするほど魅力的に見えたりする。

先週の土曜日は、かえる姉さんとラグビーを見てきた。日本代表対マオリオールブラックス
初めて生でハカを見た。ああ、雨だからと無精しないでカメラを持って行くんだった。でも、持って行ったところでカメラを構える暇もないくらい、飲み物を飲む暇もないくらい、ただただ試合の行方に夢中だった。

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5-15で負けていた前半から、追い付いて、逆転して18-15。もしかしたらこのまま勝てるんじゃないか、逃げ切れるんじゃないかとドキドキしていた残り3分、もはや退けないオールブラックスの6番がドレッドヘアーをたなびかせてゴールに飛び込んで行った。

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残念だけれど、悔しかったけれど、震えるほどカッコ良かった。
この6番の選手、試合の間、ずっとものすごく、カッコ良すぎるくらいにカッコ良かった。荒々しくて獰猛で、まっすぐな目で相手をつかんで引きずり倒して、喰らいついて、駆けていく。その姿に「もはや退けない」ファントムを見た時のように胸が震える。

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まるで恋のようにトキめいた次の日、ネットニュースでフィギュアスケートの羽生くんの衝突事故のことを知った。
動画を見たら、彼が無理をおしてまで滑った曲は「オペラ座の怪人」だった。
あまりに痛々しい姿に、出場すべきだったのか休むべきだったのか、世間には様々な意見が飛び交っているけれど「The point of no return」が流れるのを聞きながら、「ああ、今この曲か」「この子もやっぱり男の子なんだな、もはや退けないところに自分を追い込んだり、もはや退けない選択をしなければならなかったりするんだな」と、思った。それから「もはや退けない男を止めることはできないんだな、ただ見守ることしかできないんだな」とも。