90億の神の御名

この世界のほんの些細なこと

我以外皆我師

昭和の校長先生たちはしょっちゅう、このタイトルに使った言葉を朝礼などで口にしたものだ。私もご多分に漏れず、小学校の朝礼で校長先生に言われた。
それにしても、いまだに覚えているということは、校長先生のお話はそれなりに影響力のあるものなのだな、と思う。
そしてそういう言葉の一つ一つは大人になればなるほど実感として思い出されるものだなあ、と感心する。

いろんな人のブログから初めて知ることも多いし、この前、人生初の相撲観戦に行った時も相撲ファンの先輩二人に囲まれて「この人たち、なんて頼れる師匠なの!」と喜びに打ち震えた。
長年付き合っている友達でも、特定の分野に対してものすごく詳しい、ということを知らずにいて、ある時突然その詳しさに驚いたりすることがあるものだ。

先日、仙台に住む友人、通称鮭太郎(女子)が上京してきた。
一ヶ月くらい前に「上京するから遊ぼうよ」と連絡が来て、二人してどこ行こうかなんて相談している時にふと鮭太郎が言った。
「そう言えばまめちゃんて築地市場行ったことある?」
ない。TVで見たことは何度もあるけど実際行ったことは一度もない。
「それなら二人で東京のホテルに泊まって、朝早くから市場を見るのはどう?運が良ければマグロのセリも見れる」

鮭太郎は今は輸入菓子の仕事をしているが、かつては築地にある水産貿易の会社に勤めており、毎日のように市場に出入りしていたらしい。
「築地なら私が案内できるから」と頼もしく言ってくれた。
行く!行きたい!即決してすぐホテルの予約をした。
神奈川に住んでいると、東京に泊まることなどほぼない。行き交うパトカーや救急車の音に「東京の夜は騒がしいものだなあ」と思いながら早寝をして4時起床。

まだ朝4時なのに窓から見える店はもう開店準備をしているし、行き交う人の数も車の数も多いことに驚く。
真っ暗な中、マグロのセリ見学の予約をするために「お魚普及センター」なる所に向かうが、入り口の警備さんに「ああー、3時半で募集人数終わっちゃった。7割くらい外国人だったよ」と言われた。・・・そりゃ外国人だって見たいよな。だって、築地は世界最大の魚市場だっていうんだもの。
それでセリはあきらめて、おとなしく市場へ。
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入口付近でまず驚くのは見慣れぬ車がものすごいスピードで行き交うこと。ターレーと言うらしい。
物珍しさにぼんやり写真を撮る私に鮭太郎がしきりに注意する。
「まめちゃん、ターレーに気をつけて!ここではターレーが優先だから。轢かれたら人間が悪いって感覚だから。怒鳴られるし」
そらそうだ。ここは職場で皆さんは働いていらっしゃるのだ。物見遊山の私が轢かれたら自分が悪いに決まってる、と気を引き締める。
「この後セリが終わってどんどん魚が運ばれてくるからみんな今が一番殺気立ってるの」と鮭太郎。
そうなのか、そういう時間割があるのか。。。

お仕事のお邪魔にならぬよう、まずは腹ごしらえに海鮮丼を食べることにする。来る前は早朝からご飯なんて食べれるかしら、と思っていたが783-640悩み無用。

朝4時半に〆鯖の載った海鮮丼をペロっと頂く。
気さくな店員さんが「朝4時半からやってる丼ものはウチだけっスからねえ。始発が動き出すと、うちも大行列になっちゃうんですよー。まあ、今の時間はホント市場内は危険なんでご飯食べてゆっくりしてった方がいいっスよ」なんて笑ってた。
お兄さんの言葉通り、後になったら大行列ができていた。
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すぐ近くの寿司屋は4時半の時点で既にものすごい数の人が通りの外まで列をなしていて、隙間から店の中を覗くと3人の寿司職人がフル可動で寿司を握っている。朝4時半の時点でフル稼働!ここの時間の流れときたら!と驚く。
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そしてまたターレーに轢かれぬよう気をつけながら市場内へ。本当は一般公開は全て終わった9時からなのだけど、鮭太郎が「大丈夫、あたし元関係者だから」と言って案内してくれた。
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仕事の邪魔にならぬよう、ターレーに轢かれぬよう、緊張しながら歩いていると、ベトナムに行った時を思い出した。あの時もバイクに轢かれぬよう常に緊張しながら通りを歩いて市場を見た。あまりの緊張感と埃にホテルの部屋に帰るとドッと疲れが出たものだ。
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ベトナムに似てるよ、ベトナムよりも綺麗だけど」と伝えると鮭太郎は「築地は魚の生臭さがないでしょう、これはね世界でも本当に珍しいの。常にこうして地面に水を流して清掃してるから臭くないの。だから水が大量に使えることが市場にとってとても重要なの」とちょっと得意げな顔で教えてくれた。
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おがくずの中に並んだ蟹が泡をふいていて「蟹は本当に泡をふくのか」と驚いていると、暴れん坊の蟹が地面に落ちた。
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え、え、どうしよう、と狼狽する私の前でサッと拾って箱に戻す鮭太郎。すげえ!
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こ、これが「リアル死んだ魚の目」ってヤツか!と感心していれば「死んだ魚の目と言ってもこれはまだ綺麗なの、新鮮だから」とピシャリと叱られる。
魚屋の心意気だな、鮭太郎。魚の種類も見てすぐわかるし、私が初めて見るような貝の食べ方も知っている。すごい、鮭太郎、すごすぎる!
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何を見ても目を見開いて「すごいすごい」と感心しながらふらふら歩いて、一息つくために場内の喫茶店に入った。ここでも鮭太郎は大活躍で、寿司屋の行列にかれこれ3時間並んでいる外国人が暖をとりに店に入ってくればイギリス仕込の英語で話相手になってやり、注文に困っていれば通訳をしていたので、お店のおじさんに重宝がられて大変親切にしてもらった。

「いやー助かるよ。ここ数年本当に外国人の人が増えちゃってさ。ここは観光地じゃないんだけどねえ」とおじさんは困ったような顔で笑って言った。そうだ、観光地じゃないんだよな、職場なんだよな、と改めて実感し、物見遊山で来ていることを少し反省する。
が、鮭太郎は「大丈夫だって!何なら長靴履く?そうしたら関係者に見えるから!」とカラカラ笑う。そうか、ここでは長靴が「プロの証」「通行証」みたいなもんなのか、そして長靴屋もあることにまた驚く。
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鮭太郎曰く、このウロコというメーカーの長靴がステイタスシンボルらしい。
そうなのか・・・ちょっと欲しくなってしまうではないか。
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おまけにこの買い物かごを持てば完璧らしい。あら、買い物籠いいじゃない、と思ったが、8000円とか結構なお値段。そりゃあ、業務用で丈夫だから当然だろうけど。
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明るくなってから2階の駐車場に上がって市場を見下ろす。右が魚市場。左が青果市場。ターレーと大八車がひっきりなしに行き交うのを見つめていると、鮭太郎がまた豆知識を披露してくれる。
「このターレーも規格があって、関西の市場はこのメーカーしかダメとか何とかいろいろあるんだよ。昔はディーゼルとかだったんだけど大気汚染の関係で石原都知事がうるさく言って全部電気になった」
都知事はいろんな事に気を配らなければいけない職業なのだなあ。

こうして市場を歩く間中、私はずっと鮭太郎の後ろでバカみたいに目を見開いて口をぽかんと開けてすごいすごい、と繰り返していた。魚市場もすごいけど、鮭太郎もすごかった。こんなにすごい人だなんて思っていなかった。鮭太郎がいてくれて良かった。
写真を何度も見返しながらしみじみと、「我以外皆我師」という言葉を実感している。