誰も尋ねてはならぬ

渋谷駅のジューススタンドでクリームパンを買った。
このジューススタンドは渋谷駅の改修の為に一度取り払われた後に再度作られたものだ。その奥には見慣れぬ通路が真新しい輝きを放って広がっている。
私は知っている。存分な下調べと覚悟なしにこの通路に入りし者は、決して抜け出す事のできない迷宮へと誘われる事を。

時は春。
全国各地から就職や進学の為に上京した者たちが大きな荷物と期待を持って、この渋谷駅を彷徨っている。
そんな彼らを試すかのように、渋谷駅は時を同じくしてこの春、地下を掘り下げ、東横線を押し込めて、新たな迷宮を創り出したのだ。
おお、神はどこまで我々か弱き人間をお試しになるのであろうか。

村はずれの最後の民家のようにひっそりと立つジューススタンドでクリームパンを一つ買って、迷宮の入口にちらと眼差しを投げた後、私はうつむいて足早に立ち去る。その奥深さの予感に怯えるようにして。
だから上京してきた者たちよ、私にこの迷宮について尋ねてはならぬのだ。
この老いぼれた私に言えるのはただ、ここが口にできぬ程に恐ろしい場所であるという事だけだ。
「あー、東横線・・・。多分あっちですね、多分ですけど」という何の役にも立たない間抜けな回答だけなのだ。
誰も尋ねてはならぬ。決して！

ジュースの森(渋谷駅構内売店 製造元:ボスクフード) リッチクリーム 150円
パン:柔らかい普通のパン
クリーム:若干香料が鼻につくけどくせはない
☆☆☆

迷宮の恐ろしさに身震いして、あー恐ろしや恐ろしや、と食べたクリームパンはごくごく普通のクリームパン。