90億の神の御名

この世界のほんの些細なこと

不安定な道しるべ

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高校生の頃、大丸東京で開催されたパウル・クレー展に行って、この「不安定な道しるべ」という絵を初めて見た。
まるで自分の進路みたいだ、と思った。

「進路」という言葉を最初に自分の人生に持ちだされたのは中学生の時だったけれど、その時から今に至るまで、一貫して私は進路の話が大嫌いだ。
どんな答えをすればいいのか、どうしてもわからない。
中学校の先生は言った。
「きちんと高校大学を出て、ちゃんとした会社に就職しないとお前の人生、お先真っ暗だぞ」
それならば、高校大学に行きますよ、はい、行きます。
だけど、それ以外の選択肢が全く許されないのであれば、私が進路の事を考える必要なんてあるかしら。
それから言われたことは「将来お前は何になりたいのか」「君の夢はなんだ」
時代や世代や環境のせいにする気はさらさらないが、何かになりたいと強く思ったことなどなかったし、今でもないのだ。


大学を中退する前、朝突然思い立って、学校へ向かう途中駅で電車を降りた。
そうして恵比寿駅で途方に暮れながら思った事は「なーんだ、学校行かなくても死なないじゃん」という事だった。
「大学を出て、いい会社に就職しないと人生の終わり」だと先生たちはみんな言っていたから、その言葉が呪いのように染み付いて、まるでその時点で死ぬような気がしていた。
でも、実際には死なないし、死なないからこそ大変なのだ。
そこで死ぬなら楽だけれど、生きていかなければならないのだ。
推奨ルートに乗っている方が楽なんだよ、って事を言いたいなら、そう言ってくれれば良かったのに。
推奨ルートを外れたら、自分で道を探して生きて行かなければいけないから苦労するよ、って、その事の方を教えてくれれば良かったのに。
なーんだ、そうだったのかー、と、初めてドラマのセットの世界から外の世界に出たみたいな気持ちで思った。


それから、まあ死なずになんとか細々と日銭を稼いで生きてきた。
大人になって良かったことは、進路を聞かれずにすむこと。

それでも転職をするにあたって面接で「あなたのライフビジョンを教えて下さい」と言われたり、母親に「結婚もしないでこれからどうやって生きて、どうやって死ぬのよ!」と怒られたり、老後について不安を煽るような記事を読んだりすると、学生の頃から何一つ進歩していないまま、頭の中が真っ白になってしまう。
本当に本当にわからないのだ。何か脳に障害でもあるのかと思うほど本当に。


ただただ、穏やかに質素に楽しく生きていければいい、という子供じみた目標しか持てない私には、いつだって、あの絵のように、ひょろひょろとした脆弱で曖昧な道しるべをちょっと立てて、目先のカーブを映し出す程度の事しかできない。
しかもそれは断固とした決定ではなくて、もしかしたら明日は別の場所に立っているかもしれない不安定な道しるべ。

そんな甘ったれた考えで生きてこれた幸せに、もちろん感謝しているけれど。

クレー (アート・ライブラリー)

クレー (アート・ライブラリー)