まえへ
箱根駅伝を題材にした三浦しをんの「風が強く吹いている」という小説の中で、5区を走るのは神童と呼ばれる真面目な男の子で、駅伝当日は高熱をおして走る。正直、このシーンはあまり好きじゃなかった。いかにも、という感じで。
けれど、自分の足で5区を歩いたあとに読み返したら、帰りの小田急線の中で、恥ずかしいほど泣いてしまった。
苦しい、つらい、苦しい、つらい。そのふたつの言葉だけが脳髄に渦巻き、背骨を下りて体内に満ちる。だが不思議なことに、走りやめようとは思わないのだ。
久しぶりに綺麗に晴れた日、朝日に染まる富士山に嘆息しながら小田原に向かう。いつもなら朝8時に心の中で号砲を鳴らしてスタートするけれど、今日は最長区間かつ山なので悠長なことは言っていられない。7時30分に小田原中継所をスタート。
駅伝当日の交通規制の告知に胸をときめかせて。
箱根湯本の駅までだって、もう上り坂だ。左は早川。
少し登るともう函嶺洞門。必ずアナウンサーの真似をして「函嶺洞門です」と言いたくなる場所。
塔ノ沢。
大平台のヘアピンカーブ。カーブの向こうに中央大学の横断幕が貼られている。
由緒正しき富士屋ホテル。この先の箱根神社の境内で休憩をしてお昼ごはんを食べた。
箱根登山鉄道の職員の方々がお正月返上で選手たちのために電車を止めて下さる踏切。お昼を食べたばかりで意気揚々のはずなのに、なんだか苦しい。後で知ったことだけれど、この宮の下から小涌園までのあたりが5区最大の傾斜らしい。
「見上げるのもいやになるほどの勾配が、行く手に待ち構えていた」と三浦しをんの小説にも書いてあった。そのとおりだった。
小涌園前。
小涌園まではカーブのおかげで、かろうじて走りのリズムをつかめた。曲がるたびに、少しずつでも上がっていっている実感を得られた。しかしここから先は、カーブが減り、沿道の見物客もほとんどいなくなる。道路脇に雪が溶け残るさびしい風景のなかを、ひたすら黙々と、国道1号の最高点を目指して上るほかない。
これがその、道路脇に雪が溶け残るさびしい風景だ。
この辺りで私は、苦しさに腹をたてていた。
「どこまで上るの、いつまで続くの?これはマラソンコースなの?5区だけ条件がおかしいんじゃないか。5区の選手に多くを求めすぎなんじゃないの?」
それでも、やめようとは思わなかった。車道を歩くしかない私のすぐ脇をゴール地点行きのバスが何台も通りすぎてゆく。それでも「飛び乗ってしまいたい」とも思わなかった。
1区では思った。「なんでこんなことしてるんだろう」
一番投げ出したかった3区では「ここで投げ出したら負け犬だ」と思った。
そして今5区では、苦しいのに投げ出そうとも思わないし、なんでこんなことをしているのかとも思わない。きっと、積み重ねてきた事が、自分に理由をくれるんだろう。積み重ねてきたことを今ここで投げ出す方が、苦しさをおして歩き続けることよりも勇気がいるような気がした。
投げ出したって誰にも迷惑のかからない私でさえそうなのだ。チームメイトと繋いできた襷を背負う選手は尚更のことだろう。それが、このバカみたいな山道を走る理由なんだろう。
定型句のように言われる「襷の重み」はこの事か、と思った。
「北の国から」じゃあるまいし、なんなの、この1本道は。
と心の中で毒づきながら、坂を下りて登った先が1号線最高地点。
あとは下るだけだ。気は楽だけれど、足腰はキツい。
ようやく見えてきた芦ノ湖に、自分でも驚くほど、感動した。
「懸案事項を片付ける」程度の気持ちで5区に来たのに、「目的を達成した」気がして涙が出そうになる。
元箱根港。ここからが予想以上に長かった。
湖畔にある恩賜公園の緑も、湖の向こうにそびえる富士山も、最後の直線で鳴らされる応援部の太鼓の音も、神童の眼と耳に届くことはなかった。苦痛すらも、もう遠い。
靄のかかった脳みそのなかで、まえへ、まえへ、とただその言葉だけが、呪文のように木霊していた。
私は別に熱はなかった。元気だった。それでも本当に神童と同じ気持でゴールしたから、読み返して、泣けて仕方なかった。
箱根駅伝、往路の優勝カップは箱根の伝統工芸品寄木細工でできている。
歩き通した記念に、寄木細工の鍋敷きを買いました。
- 作者: 三浦しをん
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