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90億の神の御名

この世界のほんの些細なこと

90億の神の御名

「90億の神の御名」というタイトルはアーサー・C・クラークの小説からとった。
とても短くて不思議な小説で、物語はチベットの僧院からIBMのエンジニアに仕事の依頼が入るところから始まる。
僧侶はエンジニアに言う。
「わたしどもは過去三世紀にわたって、一つの事業に取り組んできているのです。神のあらゆる御名を含むようなリストをこしらえているのです。信ずべき理由により、神の御名はすべてわたしどもの文字で9字以内でかけるはずなのです。この仕事を完成するには1万5千年ほどかかると思われます」
だから神の名を抽出できるコンピューターを作ってほしい、というのが僧侶の依頼で、エンジニア達は「なんとバカバカしく無意味なことに時間を費やしているのか、人類の愚行には際限というものがないのだろうか」と呆然とする。僧侶はすまし顔で「電源とお金については心配いらない」と言って帰っていく。

彼らは、神のあらゆる名前-それが約90億あると彼らは考えている-その全部をリストに載せ終わったとき、神の意図が成就されると信じてるんだ、つまり、人類はそのために創造されたものであって、それをやりとげた暁にはもう存続の意義すらない。そんなことを考えるだけでも冒涜に近いということらしい

僧侶たちがそんな風に信じているということを知った、チベットに派遣されたエンジニア二人は、「コンピューターが90億の神の御名を全て印字し終わった時に世界の終焉が訪れなければ(エンジニアにとって、それは当然訪れないはずのものだ)自分たちの仕事の仕方が悪いからだと責任を追求され、下手をすれば母国に帰れなくなる」と思い、印字が終わる前に山を降りる。そして「そろそろ印字も終わる頃だな」と空を見上げると、空から星が一つづつ姿を消しはじめていた。
という所で物語が終わる。

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面白いのか、面白くないのか、何が言いたいのか、そんなことは私だってわからない。
ただ、私が日毎何かを書くことは、チベット僧侶たちが神の御名を書き続けることと同じで、人にとっては何の意味もない、それこそ「人類の愚行」でしかないことで、ただ自分にとってだけ何か意味があるような、「書き尽くしたらその時、自分の世界は終わるのか」なんて、大げさに考えることもあったりなかったり。

去年の2月10日にふと、そんな風に思い立って始めたこのブログもおかげさまで1年を過ぎて、尻とか盆栽とかしょうもないことを言いながら続けている。
まったく人類の、いいえ、私の愚行には際限というものがありません。