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90億の神の御名

この世界のほんの些細なこと

嫁ぐ花

泡沫

ついに婚姻届に判を押す日が来ました。


・・・が、私の婚姻届ではない。二つ下の弟の結婚の証人になるのだ。これまで下の弟たちの大学の奨学金の保証人になったことはあったけれど、ついに結婚の証人なんかする日が来たのねえ。と、しみじみしながら判子を押して焼き鳥を食べたのはこの前の皆既月食の日。

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先日、久里浜にコスモスを見に行った。写真ではわかりづらいのだけれど、この階段の下は一面コスモス畑なので、当然、階段を下りながら百恵ちゃんの秋桜を口ずさんでしまいそうになる。
周りの大人たちにとっても当然「秋桜=百恵ちゃん」のようで、子連れのお父さんが上機嫌に「薄紅のコスモスが秋の日の~♪」と口ずさんでは小学生の娘に「何ソレ」と突っ込まれ「お前、知らないのかよ、この歌を!コスモスって言ったらこれだろう?」と口をとがらしてぼやきながら通り過ぎていく。
・・・いや、小学生が知ってたら怖いでしょ、ていうか、お父さんだって知ってるかどうかギリギリの世代じゃないの、アレ。
・・・なんて笑いながら、そう言えば、と思い出す。

あの百恵ちゃんの「秋桜」はさだまさしの詞だったけど、同じさだまさしの、もっとずっと後に作られた「pinapple hill」という歌の歌詞にもコスモスが出てきた。これは多分、病気で恋人を亡くした女の人の歌。

明日この町離れるから 風に乗せてコスモスの種を
あたり一面に撒いたのは 死ぬまであなたが好きだから
過ぎてゆく時の流れ それだけが怖かった
この花が咲くころに 私は嫁ぎます

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同じくさだまさしの「解夏」という短編集の中に「秋桜(あきざくら)」という名前の小説が入っている。
フィリピンからきた女の子が長野の飲み屋で働いて農家の長男と結婚する。文化の違いに苦労して疲れ果てた時、今まで自分に意地悪をしていたかのように思えたお姑さんが言うのだ。

あの花はね、メキシコが故郷なんだそうだに」
と庭の隅を指さした。
 コスモスだった。
「お前、知っとったかな?」
 晩秋の柔らかな光の中で淡い紅色の花が揺れていた。
「いいえ。知りませんでした」
「そうかな。でもそんなことはどうでもいい。藁葺き屋根の家の庭先であの花が咲いていても、だあれもあの花がメキシコの花だなんて思わないに。秋桜はもう、大切な、大切な日本の花だで」
 そうしてアレーナの手を取って自分の両手に包み込んで優しく言った。
「お前も、秋桜になるんだよ」

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どうやら、さだまさしにとってコスモスというのは嫁いでいく者の花みたいだ、嫁いだ先で逞しく根を張って、そして台風になぎ倒されても、日の光を求めて懸命に首を伸ばす花の事なんだな、と、今更な発見に少し驚きながら西日に目を眇めた。

公園の売店ではお土産にとコスモスの苗が売られていて、買って帰ろうかと、一瞬強く思ったのだけれど、台風がまた近づいていたので、うちのベランダで台風に耐えさせるのは忍びなく・・・
いや、そうじゃなくて、本当はなんだか少し気後れしてしまって、責任がとれない、とでもいうような気持ちになってしまって、うちにお嫁にきてもらう自信がなくて。
それでなんとなく手を伸ばせずに、また西日に目を眇めて帰ってきた。


尚、wikipediaによると、あの百恵ちゃんの「秋桜」は当初「小春日和」というタイトルだったのが、プロデューサーの提案で「秋桜」になり、さだまさしは「あきざくら」と読ませるつもりだったが「コスモス」として世に出され、そのおかげで秋桜=コスモスという読み方が世間に広まったのだそうだ。
ずっと当たり前のように秋桜=コスモスと読むものだと思っていたけど、そうじゃなかったのか。

ずいぶん寒くなって、この花ももうそろそろ散ってしまっている今日この頃。
週末から、弟の結婚式のため、ハワイに行って参ります。

解夏

解夏