90億の神の御名

この世界のほんの些細なこと

けっこう毛だらけ

何かの記事で読んだのだけれど、人間、本当に好きなものや興味のあるものに関しては、放っておいても自動的にそれに関する情報をキャッチするようになっているらしい。
情報が欲しくてTwitterやらネットやら検索したりとするけれど、わざわざそんなことしなくても自動的に。
そう言えば高校の先生が言っていたっけ。
「見る、目に入る、というのはもうそれだけで愛情なのです。愛情がなければ見たものを意識すらしない」
それはそうかもしれないな、と教室の片隅でぼんやり思ったティーンネイジャーの頃も今は昔。
時が経つにつれて若い頃に聞いたあれこれの言葉を実感し始めるものだ。
ああ、これは愛情なのか、と苦しい恋のように眉間に皺を寄せて。

そんな訳で私にはきのこニュースがやたらと入ってくる。目にするたびに「最近飽きてきたかと思っていたけれど、見つけちゃうって事は、なんだかんだやっぱりきのこが好きなのか…」と我ながら驚く。
いわんや毛においてをや。

ちょっぴり恥ずかしいのであの時冗談交じりに公言したが、毛に関する話題がやたらと目につくたびに「ああ、私は相当本気なのだな…」と苦い溜息を吐いて首を振る。

こんな記事を見つけて「ああ、筒香くんは腋毛ないのか」と思ったり、試合中だって菊池雄星がアンダーシャツを着ずに投げるので、腋毛が見えることばかりが気になっていたら、他の人たちも気にしていたので安心したり

菊池雄星が投げるたびに脇毛見せつけてくるんだけど :日刊やきう速報

海外にて「ワキ毛にノリを塗布して、光るパウダーをまぶす」という手法が流行っているというニュースがキラキラとこの目に飛び込んで来たり。

去年は心を閉ざしていたせいか、あまり「毛!!」とは思わずに日々を過ごしたつもりでいる。
しかし油断大敵。人はいつでも恋に落ち、愛に溺れるもの。

巨乳と尻にばかり視線が奪われがちな大相撲、九州場所
まだまだ三役の取組までには時間もあるしと、若干集中力が途絶えてだらだらお茶を飲んでいると、解説の北の富士勝昭氏が目の覚めるような事を言い出す。

「胸毛背中毛がふさふさとしているのは稽古不足の証、しっかり稽古をしていれば擦り切れる!!」

あの時。
あの言葉がタイムリーに耳に飛び込んできたあの瞬間、私はいよいよ覚悟を決めなければならないのだと悟りました。
何をしていても私は毛の話題をスルーできない、これは本気の愛なのだ、と。逃げも隠れもできないのだ、と。

タニマチとして有名な高須クリニックは脱毛で儲けたお金で土俵上に「Yes!」「高須」「クリニック!」と3本の懸賞を掛けてくる。
勝昭は「あれは稽古不足だ」と高安の胸毛を責める。
世間はいつだって男も女も脱毛ブーム。
そんな世間の片隅で、私の日々はけっこう毛だらけ。