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90億の神の御名

この世界のほんの些細なこと

狂気と芝居

もうずいぶん前に取り壊されてしまったが、昔、横浜駅西口のステラおばさんのクッキー屋の2階にキャメルと言う名の喫茶店があった。
大学の帰りにふらっと立ち寄ってコーヒーを注文したら隣の席のおばさんが何やら真剣に話し込んでいた。
「そんなこと言ったってアンタ…。」
「アンタはいっつもそうよね。そういう所がダメなの!」
「だからあたしが言ったじゃない!」

でもおばさんの向かいの席には誰もいない。スーパーの買い物袋があるだけだ。
おばさんの斜向かいに座った私は何度も何度も横目で隣の席を確認したけれど、やっぱり誰もいない。おばさんはこちらのことなど気にも止めず、表情豊かに会話を続けていた。

そういう人を見たのはそれが初めてだったけれど、最近、そうやって一人で喋っている人がとても増えたような気がする。
ああいうのを、一般的には「狂気」と呼ぶんだろう。現実を見ず、自らの空想世界に生きることを。
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高校生の頃、学校から帰ったら母がさめざめと泣いていた。
「どうしたの!」と慌てて尋ねると、母は、鼻をすすりながら「自分のお葬式のことを想像してたら哀しくなっちゃって」と言うではないか。はあ〜?何言ってんの、この人。
呆れる私を他所に母は続ける。「さし(父)の弔辞がすごく良かったの。メモしておけば良かった!だって、実際のあたしのお葬式では、あの人、あんな気の利いた弔辞なんか読めないわよ!」
…心配ないわよ、どうせアナタの方が長生きでしょうよ!

…という、母娘のやりとりは笑い話にされ、狂気とは呼ばれない。一人さめざめと泣く母の姿が狂気じみていたとしても。

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ラブプラス」というゲームがあって、ゲームの中で仮想の恋人を作るらしい。
2010年にこのゲームと熱海市がコラボレーションして観光誘致をしていた。なんでも、熱海の観光名所にバーコードか何かのついた看板が立っていて、その看板の所で携帯電話で写真を撮ると、自分の隣に仮想彼女の姿が映る。宿泊先でも「お二人様ですね」と行って出迎えてくれる。だから、仮想彼女とのデートをまるで現実であるかのように楽しむことができる、というものだった。

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私にはそれが狂気じみて見えるけれど、熱海市にとっては「お客様は神様」だ。

人間ドックにひっかかったことを告げたら知り合いのおじさんは「腹式呼吸と瞑想で癌でも病気でも何でも治る、自分の治った姿を思い浮かべて“治りました”と完了形で言うように」とのアドバイスをくれた。
最近、こういうの多い。アファーメーションというやつか。
「私は大金持ちになりました」とか「臨時収入がありました」とか断定して言うことで潜在意識に働きかけてなんちゃらかんちゃら、とか。
こういうのや、自己啓発風水はどれもこれも大抵「お金持ちになれる」と言う。

それを言われる度に密かに思っている。
「これって、世の中の景気が悪いのは、お給料が安いのは、政治や社会のせいではなくて、努力が足りないお前のせいだよ、って言われているような気がする。長財布持たないからお前はお金持ちになれないんだよ、西に黄色いもの置かないからお金持ちになれないんだよって言われてる気がする。」

そんな風に思う私が狂気じみているのか、「トイレ掃除しないと運気が逃げる!」と眼の色変えて掃除をする人が狂気じみているのか。

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こまつ座の「化粧」という一人芝居を見てきた。
一人芝居と言われていたから、主人公を演じる平淑恵の台詞から様々な登場人物の存在を想像して本筋と劇中劇とを行き来しながら見ていたけれど、だんだんと「そこに誰もいない」ことに気付かされていく。
最終的にはここまでの芝居が全て「取り壊される劇場の楽屋に居座る哀れな女座長の狂気によるもの」であったことが明らかになる。そして最後に「現実世界では得ることのできなかった、自分が欲しかった言葉」を絶叫して芝居が終わる。

世界はこの作品とまるで同じように、たくさんの狂気とたくさんの芝居の多重構造で成り立っている。
人は皆、自分の見たいものを見、信じたいものを信じる。
わざとらしい会話と芝居がかったネオンで溢れる新宿を歩きながら、そんなことを思った。