90億の神の御名

この世界のほんの些細なこと

鮭とアラマキの日々

憶えているのは、いつの間にか夏休みが始まっていたということと、母が眠っている間、小学一年生だった私はおなかがすくと缶詰のシャケを食べていたということだ。どうしてうちの戸棚には、シャケ缶ばかりあったのだろう。缶詰のラベルに描いてあるシャケの目は冷ややかで、とても話が通じる相手とは思えなかった。
                  湯本香樹実ポプラの秋 (新潮文庫)

シャケ缶がそんなにあるなんてお金持ちだ。シャケ缶はシャケのくせに高い。我が家ならサバ缶だった。
けれど、シャケ缶を眺める主人公の姿に自分を重ねてしまうのは、私もまた幼い日、お歳暮コーナーで母が手続きをしている間中、立派な鮭を眺めていたからだ。
もっと大きくなってからだってずっと、スーパーや百貨店の片隅のお歳暮コーナーで、あの巨大な鮭の見本をつついたりカタログに見とれたりしてきた。
でも新巻鮭が我が家に来たことはついぞなかった。そうして大人になってお歳暮と関わりのない生活をするにつれて、新巻鮭への興味も失われてきたのだが。

思えば昔は今よりもっと鮭がメジャーだったような気がする。鮭をくわえた木彫りの熊だとか、産卵のために鮭が川に戻ってきたニュースだとか、とんねるずのみなさんのおかげですに登場してきた新巻ジャケ男だとか、この絵だとか。

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(この絵、いつも必ず麗子像と隣り合わせで教科書などに載っていたものだから岸田劉生の絵かと思っていた。。。)

すっかり鮭を忘れた頃、水産貿易の仕事についた友人のハンドルネームが「鮭太郎」であることが判明し、衝撃を受ける。鮭太郎…。女の子なのに。
仕事に情熱を燃やしていた彼女はしょっちゅう会社帰りに鮭をくれたものでした。

それから、別の友人と久々に山下公園氷川丸に遊びに行った時には、氷川丸が過去に塩鮭を海外から輸入していた頃の積み荷のルール「鮭の上にはニシンをおかないこと“Never put herring over salmon”」という看板を見て衝撃を受けた。なんでもニシンの匂いが鮭にうつって鮭の商品価値がなくなってしまうのだそうだ。

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そんな風に再び鮭を気にかけるようになってきた頃、愛読するお料理ブログのあちこちで「数年前からお歳暮に新巻鮭をもらうことがなくなり、自分で買うことにしました」「新巻鮭を楽しんだ最後は石狩鍋!」というなんとも魅惑的な声が聞こえ始めた。
ブログに載せられた石狩鍋の写真は豪快に新巻鮭の頭が突き出している。
新巻鮭!!幼き日、見惚れ続けた新巻鮭!

こうなると日々は鮭にまっしぐらにむかっていく。会社にいてさえ全社サイトに掲示される三越のお歳暮案内の人気ランキング1位は毎週新巻鮭だ。更新される度に同僚と「新巻鮭、強いな!3週連続1位の座を守りぬいている」と驚嘆している。

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もう、これは新巻鮭を買うしかないんじゃないか。
もう大人なんだから幼き日の夢を自分で叶えたっていいんじゃないか。
そう思ってすぐに相談した相手は鮭太郎。
「ねえ、新巻鮭買うのってどう思う?」と聞けば「冷凍できるしいいと思うよ。今は切り身で売ってくれるし」と力強く答えてくれる。
「生協のお歳暮、いくらと松前漬けと新巻鮭セットで◯◯円なんだけどどう思う?」とサイトリンクまで貼って尋ねれば「うん、銀毛オスでこの量でこの値段ならいいんじゃない?今年は鮭が不漁で値上がりしてるし、いいと思う」と流石の鮭太郎。その名に偽りなし。
よし、もうポチっとしちゃう。今年は新巻鮭デビューしちゃう。

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そんな決意の新巻鮭が昨日届いた。
小躍りしながら撮ったこの写真、今朝は会社で同僚に見せた。鮭太郎にも送った。

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鮭で溢れる冷凍庫、その一番上には冷ややかな目をした鮭の頭がいる。
幼い子供にとっては確かに話の通じる相手と思えないだろう。だが構うものか。
正月明けには石狩鍋を作ろう。その中でお前は豪快に頭を突き出しているのだよ。
そう心の中で呼びかけている。例え通じなくとも。
新巻鮭ゲット!!

酒とバラの日々 [DVD]

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不気味の谷

こっそり引きこもって生きています。なので星すら見に行けていません。
そのかわりにプラネタリウムに行ってみたりする。みんなが「あれ、すごいですから!見て!近いんだから!行けよ!」と口々に言っていたかわさき宙(そら)と緑の科学館の世界最高峰プラネタリウム投影機メガスター
確かにすごかった。まさかプラネタリウムの入り口でVixenの双眼鏡渡されるとは思わなかった。
ああ、こんな星空を去年は福島で見たっけなあ。今年はどうも出かける気力がないなあ。プラネタリウムでこんな星空見れるんだったらまあいいか。

それでメガスターを追い求めてお台場、日本科学未来館へ。日曜日の混雑も予想して、事前に上映全2プログラムの予約までして。
プラネタリウムだけが目的で、他のものは別にわざわざ子供の群れをかき分けてまで見なくてもいいや、と思っていたけど、ちょうど10分後からASIMOの実演が始まるという。

なんだかんだであの子の成長は心のどこかでいつも気にかけていた。
「あの子、もうご挨拶できるようになったわよ!」「まあ、人とすれ違えるようになったんですって!」「お客様にお茶も出せるようになったのよ」、と親戚の子供のように。
それで、わくわくと子供たちの列の後ろに立つ。あれからどんな成長をしたのかと思いきや、係のお姉さんがおっしゃるには「サッカーができるようになって、オバマ大統領とこの科学未来館でサッカーをした」のだそうだ。すごいな、ASIMO
公式サイトを見るとベルギーの首相のお出迎えまでなさっているらしい。ご公務までこなす!やるな!

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期待が高まる中、若干ラピュタのロボットを思わせるような見た目と歩き方で出てきたASIMOは「今から早く動きます」と高らかに宣言し、彼なりの精いっぱいの速さで走ってみたり片足とびをしてくれる。
私の後ろに立つ外国人カップルは「オオーーーウ」と驚きっぱなしだ。どうだ、これが日本のテクノロジーだぜ。参ったか。
圧巻は手話付きの歌だ。不覚にも涙ぐんでしまった。まるで孫の成長を実感したばあちゃんみたいだ。

ああ、なんて純粋でいじらしい。ロボットって可愛いんだな、ASIMOに会えてよかった、満足!・・・と振り向いたところに恐ろしい奴がいる。
それはオトナロイド。

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写真だとまだ普通に見えるかもしれない。でも生で見ると怖い。本当に怖い。

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コドモロイドは更に怖い。

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何が怖いってこのコドモロイドは6畳くらいの密室に閉じ込められて喋っており(声は芦田愛菜ちゃん風)、観覧者はそれを20センチほどの壁の隙間からそっと覗くのだ。なにこの変態設定!
覗き込んだ後、老若男女問わず、コワイ、キモイと言いながらその場を離れる。確かに怖い。背筋がぞっとする。
この怖さはなんだろう、ASIMOはとっても可愛かったのに。

調べによると、それは不気味の谷現象と呼ばれるものらしい。

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・対象がある程度「人間に近く」なってくると、非人間的特徴の方が目立ってしまい、観察者に「奇妙」な感覚をいだかせる
・ロボットの場合は、いったいなぜ気持ち悪いのか、明確な理由がわからないために、実際には死体よりも不気味に感じることもある。動作の不自然さもまた、病気や神経症、精神障害などを思い起こさせ、否定的な印象を与える。
                             wikipediaより

似てないから安心、似ているけれど何か違うから怖い、生きている気配、つくりものの気配、近づくと怖い、同じ生き物?違う生き物?理由がわからないから怖い、理由がわかったら怖くない?喋ってくれるから嬉しいのか、プログラミングされた定型文だから悲しいのか、技術の限界だとか努力のあとだとか人の思惑が見え隠れするから奇妙な気持ちになるのか。

不気味の谷のような所にすとんと落ちて、近づきすぎてくたびれたり、離れすぎて怖気づいたり、投げ出そうかと捨鉢になったりして、距離感を測りあぐねながら久々の更新です。
背中を押してくださった方々、ありがとうございました。

まだ生きてるよ

引きこもり問題が一般化してきた1990年代、友人ゴトオは私に厳しく言い放ったものだ。
「お前は精神的引きこもりだからな。肉体的には引きこもってないから仕事もちゃんとするけど、精神的に引きこもってる」
心当たりありすぎて、ぎゃふん。上手いこと言うわね、ゴトオ。
あれから20年。私は今も精神的引きこもり。そしてゴトオは立派なNEET。この国の未来に謝罪したい私たち。

ゴトオの言うとおり、肉体的には引きこもっていないので、積極的に外には出かけてる。4月中旬にはちゃんと高校野球も見に行った。横浜高校桐蔭学園。1-2で桐蔭がサヨナラ勝ち。マジか、夏はノーシードからか。
今年初の横高観戦がこれで終わってしまったので横高成分が足りない!!・・・と、憂さ晴らしに、地元横浜高校出身の選手がやたらと多いベイスターズを見にハマスタへ。
今年初プロ野球。今までハマスタプロ野球を見たのは2回くらい。いつもライオンズ戦で、気持ちがビジターだったので感じたことがなかったけれど、ベイスターズを見にホームの気持ちで来てみると「家からこんな近くでプロ野球が見れるなんて!!」と感動する。もうベイファンになっちゃおうかな、とまで思う。
だって西武ドーム遠いんだもの。2時間半だもん。ハマスタ30分だもん。

そんな訳でまずは涌井くんの同級生、石川くん。
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ランナーを後ろから見るのは私の好きなアングル。f:id:mame90:20150425153719j:plain
そして筒香くん。・・・立派になって。ちょっと前まで高校生だったじゃんね。そりゃ高校生でもスターだったけど、こんな大歓声を受ける子になっちゃうなんてね。
キャッチャーは途中から出場の谷繁監督。
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なんだかのしのしと歩く熊のようで可愛らしい。
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石川くん、荒波くん、倉本くん、筒香くん。これよ、これ。こういうのよ。
多村氏と後藤氏もいたので、大分横高成分取得できた。
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筒香くん、関根くん、梶谷くん、石川くんで勝利のヒップアタック。男の子(という年じゃないけど)のこういう所、可愛いなあとトキめく。
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・・・とまあこんな感じに肉体は外に出て、精神的には引きこもり、キモい感じで野球選手にニヤニヤしながら生きているという生存報告まででございます。
皆様に不義理ばかりしているので、コメント等どうぞお気遣いなく。今後ともよろしくお願い致します。

まめ拝

まだ生きてるよ

まだ生きてるよ

2D・3D

ある朝、何の話のついでだったか、課長が言った。
「僕が若い頃にはね、一生懸命お金をためてステレオのラジカセを買って、電車の音を撮りに行ったんだ」
あら、課長、撮り鉄みたいな感じだったんですねー、と笑ったが課長の言いたいことはそういうことではなかった。
ステレオで取ると電車が右から左へ抜ける音がきちんとその通りに聞こえるのだそうだ。そして今の技術では更に多チャンネルになり、ヘリコプターが後ろから来て前へ抜けていくような音も立体的な臨場感を持って再現出来るのだという。
「できるだけ見たまま聞こえたままを再現しようとして技術は進歩してきているんだよね。今は映画も3Dになっているけど見た?機会があったら見てご覧なさい」

そう言えばカメラ好きな父は言っていた。
「カメラっていうのは人間の目の仕組みを再現しようとしているんだよ。シャッターを切るのはまばたきだ。でもね、なかなか人間の目と同じようにはできないんだよね。人間の目って本当にすごいんだ」
その後、自分もカメラを買って、でも風に揺れる花は上手く撮れないし、星空も夜景も月もどうしても失敗してしまいがちで、毎回「どうして見たとおりにならないのかしら」なんて思ったりする。

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課長と話をする少し前、ゴダールの「さらば、愛の言葉よ」という映画を見た。本当は3Dだけど2Dで。
それはいつものゴダールとそんなに極端には変わらないように見えた。あちこちに飛ぶ視点と繰り返されるモチーフ。意味ありげな言葉や意味ありげなシーン、意味ありげな音。
花瓶の外には花が豪奢に溢れていても、花瓶の中の水は濁って腐っている、というシーンが象徴するように、大層な言葉を並べて悲壮な顔で何を言おうと、動物と同じように排便して血を流して、けれど動物と違うのは枯れた花でも渡されたらまるで美しい宝物のように匂いを嗅ぐような様式美や、欲しいものは言葉でなくとも、言葉で表現するしか仕方がないだとか・・・。

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映画を見終わって外に出たら、土曜の夜の黄金町に輝くネオンサインは雨に洗われてキラキラとしていて、ドンキホーテやら通り過ぎるタクシーやらに書かれた文字たちに「世の中はつくづく消費されるだけの意味のない言葉でこんなにも溢れかえっているもんだ」と妙にしみじみした。

それからしばらくして、くみちょうさん(id:Strawberry-parfait)にお会いした。
いつもPCの中の平面の世界で、知っているようなつもりでいる人。でも実際に会ったことはない人。
知らないけれど知っていて、知っているけれど知らない不思議。
最初はドキドキしていたのか少し不安げに見えたくみちょうさんが、お話をするうちにどんどん「ああ、この人はいつもはこういう人なんだな」と花の蕾が開くみたいに緊張が解けていって、「きっと私も同じように不安げな顔からどんどんほどけていったんだろう」と思った。

個展を開催していたお店でニコニコしながらビールを飲んで、少し赤くなった顔のくみちょうさんがサントリー美術館に「若冲と蕪村」を見に早速行ってきたという話をしていたから、「行きたいな」と思っていた気持ちが私の心の中で「行かなきゃ!」という立体的な気持ちに変わって、行ってきた。
若冲の象と鯨の屏風の隣に蕪村の理想の村を描いたような屏風が展示してあって、近くで見るとぺったりして面白みがないように見えるのに、少し離れて見ると屏風の折りたたみによって奥行きが出たりして、これって計算ずくよね、昔からいつも人は奥行きを出すためにどうすればいいか頭をひねっていたのね、と思いながらしばらく眺めていた。

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「機会があったら3Dの映画を見てみなさい」という課長の言葉が胸に残っていた矢先、新宿で「さらば、愛の言葉よ」を3D上映しているというので行ってきた。赤と青のセロハンのメガネじゃないもので3Dを見るのは初めてだった。
2Dで見るのとはまるで違って、画面の面白さにばかり心惹かれ、話される言葉は全てBGMの一部のように通り過ぎて行く。映像というのは見たままであるかのように思っていたけれど、こうして奥行きが現れると、目で実際に見るのとは違っていたのだなと驚いた。
そして奥行きは生まれたにしろ、その奥にいる人間や奥にある物に厚みは感じられず、紙の人形がこっちに向かってくるみたいに見えるから、改めて「やっぱり人間の目はすごいんだなあ、見たままというのは難しいんだなあ」と思う。

www.youtube.com

見たままをそのまま表すことが出来ないから、その事に必死になったり、映像も絵画も写真も、見たままとできる事とのギャップに意味を与えようとしたり、意味があるように見えたり、するのかしら。

2Dと3Dを行ったり来たりしながら、そんな事を考えていた昨今。
毎年桜が咲くと少し寒くなる。そして天気が悪くなる。
花冷え、花曇りという言葉が、字面の美しさだけでなく、現実の事象として現れることにも改めて感心しながら。

命みじかし

チャンスの神様は前髪しかないから、やってきた時にすぐに前髪をつかんでおかないと、振り向いて掴もうとしても手が滑って掴めないんだそうだ。
初めてそれを聞いたのは中学生の頃で、友達とお弁当を食べながら「どんな髪型だよ」「相当脂ぎってるね」と笑った。今でも同じように「どんな髪型だよ」と思うし、ビリケンさんみたいな姿を想像している。

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昔、お客様から奇妙なクレームが発生して困ったことがある。
千秋楽間近の舞台を見に来たお客様が公演のビデオ撮影をしたい、と言うのだ。法律で禁じられているのでやめて下さいとお願いしたところ、お客様は怒り心頭で言った。
「それじゃあもう見れないってことじゃないですか!!!」
そうなんです。舞台は一度限りのものなのです。
でも今の時代、なかなかそれを理解してもらうのは難しい。

子供の運動会で撮影しない親御さんなどほぼいない。「小学1年生の運動会は生涯1度きり」だけど、録画しておけば何度だって見れる。卒園式も入学式も結婚式も成人式も。それらすべてをまとめて結婚式で流すことだってできるのだ。
スポーツだって1回きりの勝負だけれど、録画しておけば繰り返し何度でも見れるし、名勝負と呼ばれる物はyoutubeでだって見ることができる。

クレームを受けた私でさえ、どこかで「何度でも見れる」ことを当たり前のように思っていた。だから時々友達と話をしながら「もう、あのキャストであの公演を見ることは絶対にできないんだねえ」と愕然としたりするのだ。

世の中の技術がどんどん発達してモバイル端末でどこにいても映画やドラマや写真を見れる時代で、好きなものを何度でも好きなように楽しめることが当たり前のような時代にいるから、時々「もう見れない」ものがあるとひどく驚いてしまう。
それが舞台のようなナマモノならまだしも、映画やドラマが「もう見れない」状態だと特に。

だから、見たいものは見れるときに見ておくべきだよね・・・と自分に言い聞かせて、3月はゴダール特集やってた映画館に通い詰めていた。
そして、久々に会った知り合いが
「国立モスクワ音楽劇場の白鳥の湖が見たいの。バージョンがすごく良いの。都合のいい日が2日間あるけど2日とも行こうか1日だけにしようか、どの席で見ようか迷ってるの。1階からも2階からも見たいの!」
とアツく語るのに対し「もう2日とも行っちゃいなさい、今しか見れないんだから。次にいつ見れるかわかんないんだから」と厳かな神託のように告げたりする。他人を許し、自分をも許す精神で。

そんなワケで明日はNHKホールでバレエの饗宴見てくる。
私の大好きなNoismが出るので。
そして明後日はくみちょうさん(id:Strawberry-parfait)の個展にお邪魔して参ります。うふ。

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ふきのとうの花が咲くころ

ずいぶん暖かくなってきて、ベランダの雪割草はもう満開だし、今朝は雪柳も一つ二つ蕾が開いていた。

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これは去年雪割草を頂いてきたクリーニング屋さんの店先。

3月になったら、しそとコリアンダーの種を蒔こう、と思っていたのに、時折眺める暦には先月くらいからずっと「しばらく土をいじってはいけません」の文字が出ていた。
大犯土(おおつち)とか小犯土(こつち)とか言う名前で、草木のバイオリズムについて古くからの言い伝えらしい。
こんなに暖かいけど、種まきはまだかあ・・・と思っている最中に啓蟄があった。
こっちは二十四節季の一つ。wikipediaにはこう書いてある。

大地が温まり冬眠をしていた虫が穴から出てくるころ。『暦便覧』には「陽気地中にうごき、ちぢまる虫、穴をひらき出ればなり」と記されている。
柳の若芽が芽吹き、ふきのとうの花が咲くころ。


柳の若芽が芽吹き、ふきのとうの花が咲くころ。
wikiにしては詩的で素敵な言葉だ。そうか、ふきのとうの花が咲いているのか。
そうか、虫が出てくることもあるから、土をいじってはいけないのか。

そうやって、土の中の虫たちが目を覚まして動き出し始める頃、草木がどんどん「春だ!春だ!」と騒ぎ始める頃、どうやら私は逆に気持ちが引きこもりはじめるみたい。
あちこち出かけたり映画を見たり友達と笑ったりしながらも、心の中が大犯土、小犯土のようで、波風立てず掻き混ぜず声をたてず、じっと静かにしていたくなる。

大犯土小犯土の心持でじっと静かに、全身で春を告げる草木を眺めていた、啓蟄すぎの週末。
柳の若芽が芽吹き、ふきのとうの花が咲くころ、弟夫妻に女の子が生まれた。
名前は咲(さき)

新しい命がどんどん生まれだす季節
その力強さに少し驚きながらじっとしている。

明日

今日の東京は花粉の飛散量がものすごく多いから気をつけろ、という警報が昨日から出ていた。
そのせいか朝から会社で鼻血を出してしまった。
トイレで鼻血のついたハンカチを洗いながら、そう言えば、あの日も花粉で目と鼻をぐしゅぐしゅさせて、もう耳鼻科に行かなきゃと予約の電話を入れたあとだったなあ、と思い出した。このトイレの扉がものすごい音をたてて揺れていたっけ。

10時には地震を想定した避難訓練があった。机の下に入って「慌てないでください、絶対に外に出ないでください」という指示を聞きながら隣の席の子と「あの時、外に出ようとか逃げようなんて思いつきもしなかったね」とあの日を思い出していた。

あれから4年になるんだな。
つい先月、世界がテロリストのことで大騒ぎしていた頃、フェイスブック東慶寺の記事を読んでハっとした。

先日デンマークでも事件が起きたように、現在の世界情勢は宗旨の違いから起こる争いによって、大変危険で不安定な状態にあります。
鎌倉はあの小さい地域に神道、仏教、キリスト教の諸施設が数多くある、非常に稀な宗教地域です。
鎌倉の宗教者はこの宗旨、宗派の違いをこえ、互いに尊重し、協力しあって、失われつつある「祈る心」を伝え、育てていくことを目的とし、「鎌倉宗教者会議」を正式に立ち上げました。

日本人で良かったとしみじみ思うのは、美味しい和食を食べた時、美しく咲く桜の花を見た時、それから世界が宗教の違いを理由に激しく争うことの意味がわからない、と思う時だ。
信じるもの、すがるものは一つでなければならないのかしら。自分と同じものを信じない者は本当に殺されるべき存在なのかしら。
時々そんなことをぐるぐると考えてしまうから、あの震災以降毎年鎌倉で、宗派を超えて宗教者が手を取り合って祈りを捧げてきたのだという記事に胸を打たれてしまう。

この宗教者会議が、3/11の夜のローソクナイトというのを提案してくれている。

あの日、あの夜。
わたしたちは、停電の暗闇の中で不安な夜を過ごしました。
毎年3月11日の夜は、その時のことを思い出して心静かに過ごしていただきたいと、「ローソクナイト」のお誘いをしています。
その夜は、ご家庭やお店で、照明やテレビを消して、ローソクに火を灯し、被災された皆様に心を寄せ、復興をお祈りする時間を持たれてはいかがでしょうか?

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この前、梅を見に鎌倉に行ったのは、このロウソクが欲しいという理由もあった。

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リュックに入れて袋がしわしわになってしまったけれど鎌倉宮でいただいてきた。
鎌倉宮報国寺カトリック雪ノ下教会で加持祈祷、祝福されてボランティアの人が紙を巻いて、シスターが一枚ずつ巾着袋を縫ったもの。
神社の榊、仏教の蓮の花、カトリックの白百合をモチーフとしたマークが押してある。

明日。
明日の14時46分には緊急地震対応訓練のため電車が一斉停止します、と今朝から駅や車内でアナウンスが繰り返されていた。
明日。
きっとネットもテレビも地震の話題で溢れて、みんなであの日を思い出してざわざわするんだろう。
明日。
このロウソクを灯して静かに過ごそう。